三分文庫

螺旋の観測者

観測ステーションは、広大な真空に静止していた。記録官734は、ポッドから降り立ち、金属製の床に足を踏み入れた。人工重力は標準値に設定されている。空気は循環し、無味無臭。周囲の構造物は、放棄された宇宙港の残骸であり、その中心に目的の人工物が存在した。螺旋階段。既知の物理法則の範疇を超えたエネルギーを放出する物体。

734は、両手に神器(観測装置)を構えた。レンズが対象に向けられる。螺旋階段は、その名の通り、無尽蔵に上へ、あるいは下へと伸びているように見えた。しかし、神器の光学センサーが捉える映像は、安定しなかった。階段の構造は、数秒ごとに微細に、あるいは劇的に変化した。データログには、矛盾する座標とエネルギー値が記録されていく。観測開始から72時間。変化の頻度は増し、データにはノイズが混じるようになった。

「異常。階段構造の変動率、上昇。」

734は、淡々とした声で報告した。彼は感情を排し、ただ事実を記録する。神器の解析モジュールは、階段の根源部分に、極めて微弱ながらも不規則なエネルギーパターンを検出した。それは、既知のいかなる物質、あるいは現象とも一致しなかった。一種の「異形」の気配。

「異形、観測。エネルギーパターン、未知。」

734は、神器の解析能力を最大限に引き上げた。対象は、階段そのものではなく、その根源に潜む「異形」へと移された。異形は、明確な形状を持たなかった。それは、光の斑点であり、空間の歪みであり、そして734の認識の端に触れる、捉えどころのない「何か」だった。神器の解析によると、異形は階段の構造変化を誘発している可能性が高い。さらに、そのエネルギーパターンは、観測者の認識に干渉する特性を持つと示唆された。

「認識干渉、可能性あり。」

734は、自身の視覚情報と神器の表示データを照合した。わずかな乖離が生じ始めている。神器は、階段が一定の角度で傾いていると表示するが、734の視界では、それは水平に保たれているように見えた。あるいは、その逆だったかもしれない。どちらが真実か、判断がつかない。異形は、734の意識の深層に、直接的な波紋を投げかけていた。それは、言葉にならない、純粋な情報だった。階段は、外宇宙の構造物ではなく、734自身の内部に存在する、無限の迷宮へと変貌しつつあった。

彼は、観測ステーションのコンソールに向かった。指先がキーボードの上を滑る。最終報告書の作成。記載すべきは、観測データのみ。異形。階段。エネルギーパターン。認識干渉。それ以上の記述は、不要であり、不可能だった。

「報告書、作成完了。対象『螺旋階段』における『異形』の観測データ、記録。」

報告書は、自動送信システムによって、管理センターへと送られた。観測ステーションの機能は、これをもって終了となる。734は、ポッドに乗り込んだ。ステーションは、静かに宇宙空間へと浮遊していく。螺旋階段と、その根源に潜む異形は、そのまま、観測され尽くすことのない宇宙の深淵へと留まった。734の、その後の記録は存在しない。

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