成人式と捜査網

「おい、一郎! ちょっといいか?」

 けたたましい声に、俺、田中一郎は肩を震わせた。部屋にこもって数時間、最新の『異世界転生したら最強魔導士だった件(ただし chitinous armor 装備)』の第15話をリピート再生していたところに、玄関のチャイムが鳴り響く。

 誰だ、この時間に。セールスの勧誘か?

 しかし、声の主は佐藤刑事。幼馴染の佐藤だ。よりにもよって、平日の昼間に、こんな俺の部屋に何の用だろう。

 重い腰を上げ、ドアを開けると、そこにはきっちりとしたスーツ姿の佐藤が仁王立ちしていた。だが、その表情はいつもの堅物ぶりとは少し違う、どこか困惑したような、それでいて真剣な色を帯びている。

「なんだよ、佐藤。警察手帳でも見せるのか? 俺、別に怪しいもんじゃないぜ? 強いて言うなら、昨日買ったフィギュアの開封動画をこれから見るくらいだ」

 俺がいつもの調子で言うと、佐藤は溜息をついた。

「まあ、座れよ。お前に頼みがあってな」

 リビングに通し、ペットボトルのお茶を渡す。佐藤はそれを一口飲むと、改まったように口を開いた。

「実はだな…成人式会場で、一人、行方不明者が出たんだ」

「え? 成人式? 俺、もうずいぶん前に成人したけど…」

「いや、去年の成人式だ。で、お前、去年の成人式で会場のアルバイトしてたろ? ちょっと、目撃者として話を聞きたいんだ」

 去年の成人式…ああ、あったな。あの、やたらと寒い体育館で、酔っ払いの親父たちに絡まれながら、受付と誘導係をやった記憶。懐かしいというか、もう思い出したくないというか。

「それで、どんな奴が消えたんだ? なんか、特徴とかあるのか?」

「それがだな…」

 佐藤は、手元のメモをめくりながら、説明を始めた。

「どうやら、一人、明らかに浮いている人物がいたらしい。身長170センチくらい、男。服装は…なんだ、これ。『派手な剣と、光るマント』? 要するに、コスプレだよ、コスプレ」

 コスプレ? 成人式で? しかも、光るマントに剣? なんだそれ、ファンタジー系のイベントか?

「で、その人物が、成人式も半ばを過ぎた頃に、会場から姿を消したと。親御さんも、学校関係者も、誰一人として心当たりがないらしい」

 佐藤の言葉を聞きながら、俺の頭の中には、ある一点の光が灯り始めた。いや、光というか、むしろ閃光に近い。

「佐藤、それ…もしかして、俺が見た奴じゃないか?」

「なんだ、お前、何か知ってるのか?」

「いや、知ってるっていうか…あの、俺、アニメも結構好きでさ。で、去年の成人式、受付やってた時、会場の隅に、明らかに浮いてる奴がいたんだよ。なんか、異世界から来た勇者みたいな格好してさ。しかも、なんか、こう…キラキラした剣みたいなの持ってた」

 俺は、必死に記憶を呼び起こす。あの男、確か…

「それで、その男、全然、成人式とか周りの奴らと馴染んでなかったんだよ。ずっと、スマホいじっててさ。俺、友達に『あれ、もしかして、オフ会とかで間違えて来ちゃった奴じゃない?』って話したんだ」

 佐藤は、俺の話を真剣に聞いていたが、次第に眉間に皺を寄せ始めた。

「いや、田中。だが、我々としては、成人式から失踪したということになっている。成人式に出席するはずだった人間が、何らかの理由で会場を離れた、と考えるのが自然だろう」

「いやいや、佐藤、それは警察の勝手な思い込みだよ!」

 俺は、思わず声を荒らげた。

「だって、考えてもみろよ。成人式って、基本的には『現実に帰る儀式』だろ? でも、あのコスプレ野郎は、明らかに『現実』に帰る気がない顔してたんだぜ? むしろ、もっと『非日常』を求めてる感じだった」

 俺は、佐藤に熱弁をふるった。アニメオタクの生態、オフ会文化、そして、コスプレへの情熱。佐藤は、俺の熱弁にタジタジになりながらも、どこか真剣に聞き入っているようにも見えた。

「つまりだな、佐藤! 犯人は、アニメオタクに違いない! いや、犯人っていうか、失踪した『成人』は、アニメオタクなんだよ! だから、捜査の方向性を、『オタクの生態調査』に切り替えるべきだ!」

 俺は、持ち前のオタク知識を総動員して、佐藤の捜査網をアニメオタクの深淵へと誘導しようと試みた。

 佐藤は、困惑しながらも、「わかった、わかったから、落ち着け」と言いながら、俺の言葉をメモし始めた。なんという純粋な警察官だろうか。いや、純粋というか、少しズレているのかもしれない。

 数日後。

 俺は、佐藤から連絡を受けた。SNSの情報を元に、失踪したとされる人物が、実は成人式には参加せず、近隣のホテルで開かれていた「非公式アニメオフ会」に参加していたことを突き止めたのだという。

 そして、その人物は、成人式会場の警備員に「コスプレしたまま帰宅したい」と頼み、会場の外へ連れ出されたことが判明した。つまり、失踪ではなく、自己都合による「早退」だったのだ。

「…で、結局、その『成人』は、無事に帰宅できたのか?」

「ああ。自宅まで、コスプレしたまま、親に迎えに来てもらったらしい」

 佐藤は、複雑な表情を浮かべながら答えた。俺は、思わず吹き出した。

「なんだよ、結局、ただの『早退』じゃねえか!」

 事件はあっけなく解決した。佐藤は、俺のオタク知識に助けられたことに、まだ少し戸惑っているようだった。

「いや、しかし、田中。お前のおかげで、アニメオタクの生態を少し理解できたよ」

「俺はただ、自分の好きなことを全力でやってるだけっすよ」

 俺は、佐藤にそう笑いかけ、再び部屋に戻り、アニメ鑑賞に没頭した。今日の『異世界転生したら最強魔導士だった件(ただし chitinous armor 装備)』は、主人公が伝説の『 chitinous armor 』を装備するエピソードだ。これは見逃せない。

 世間が言う『普通』なんて、俺には関係ない。俺は、俺の好きなことを、全力で楽しむだけだ。それが、俺の生き方なんだから。

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