桜の下の呪物

春の陽光が、淡いピンク色の花びらを金色のシャワーに変えていた。平和な地方都市の、見慣れた桜並木の下。しかし、その日、その美しい光景は、異様な静寂と血の匂いに汚されていた。ベテラン刑事の田中浩一は、現場に立ち尽くしていた。被害者は若い女性、佐藤美咲。都会からこの街にやってきたばかりだという。彼女の遺体は、まるで春の訪れを祝うかのように咲き誇る桜の根元に、不自然な形で横たわっていた。

「何があったんだ…」

田中は、慣れた手つきで現場を観察しながら、独りごちた。状況証拠は不可解な点ばかりだった。争った形跡はほとんどなく、かといって、静かな死でもなかった。彼女の小さな手には、何かを強く握りしめたような跡が残っている。

捜査線上に浮かんだのは、地元有力者の息子、木村達也だった。美咲がこの街に来て間もなく、木村とトラブルになっていたという情報が入る。傲慢で粗暴なことで知られる男だ。

「木村か…」

田中は、美咲が所持していた小さなポーチから、奇妙な「呪物」を取り出した。古びた木彫りの人形。それは、子供の落書きのような拙い線で描かれていたが、どこか不気味な雰囲気を醸し出していた。美咲がこれをなぜ持っていたのか、そして、なぜ事件現場にこれが残されていたのか。田中は、この人形に、事件の糸口があるような気がしてならなかった。

木村は、事件当日、県外にいたというアリバイを主張した。だが、そのアリバイすら、どこか胡散臭さを感じさせる。田中は、この呪物の由来を調べ始めた。地域の古文書や、過去の未解決事件の記録を紐解いていくうちに、この人形が、この地域に古くから伝わる、ある不気味な風習と関係があることが分かってきた。それは、過去に何人もの若者が犠牲になった、陰惨な風習だった。

「まさか…」

田中は、ある未解決事件の資料を手に取った。それは、今から20年ほど前に起きた、ある若い女性の失踪事件。当時、有力者の関与が囁かれたが、決定的な証拠はなく、事件は迷宮入りとなっていた。そして、その事件の現場にも、今回見つかった呪物と酷似したものが、被害者の持ち物の中から見つかっていたのだ。

捜査が進むにつれて、田中は警察内部から、奇妙な圧力を感じ始めるようになった。山田課長は、穏やかな口調で田中を諭した。

「田中君、この事件は早く片付けたいんだ。木村さんのところへも、あまり深入りしない方がいい。有力者には、逆らわない方が君のためだ」

保身を図る山田課長の言葉は、田中にとって、真実を隠蔽しろという無言の命令に等しかった。警察が、組織の論理と、有力者への忖度を優先し、真実を闇に葬ろうとしている。田中は、孤立無援の戦いを強いられていることを悟った。

田中は、確信していた。この呪物は、単なる凶器ではない。それは、過去に隠蔽された罪、そして、それを守ろうとする者たちの業そのものを象徴しているのだと。

桜の花びらが、風に舞い、地面を淡いピンク色に染めていく。まるで、美咲の無念を悼むかのように。田中は、木村、そして事件の背後にある警察組織の闇に、静かに、しかし強い決意を持って迫っていた。だが、現実の壁は厚く、有力者への忖度は、結局、真実の解明を阻んだ。事件は、不完全燃焼のまま、うやむやにされていく。真実は、桜の花びらと共に、風に散っていった。ただ、散りゆく桜だけが、その美しさと虚しさを、静かに物語っていた。

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