母の秘密と古びた魔導書
最近、両親の間に漂う空気が、陽菜にはどうにも落ち着かなく映った。母・佳乃は、昔の快活さはどこへやら、時折、窓の外をぼんやりと眺めては、深く溜息をつく。父・健一に至っては、元々寡黙な人だったが、ここ数週間はさらに口数が減り、まるで何か恐ろしいものに怯えているかのようだ。陽菜は、その原因が掴めずに、ただ胸の奥で不安がじわりと広がるのを感じていた。
そんなある日、陽菜は物置の片付けを手伝っていた。埃っぽい段ボール箱の奥から、異様な存在感を放つ古びた革装丁の書物を見つけたのは、その時だった。祖父が遺したものだという「魔導書」。子供の頃に何度か見せてもらった記憶はあるが、こんなにも埃にまみれていたのは初めてだった。好奇心に駆られ、そっとページを開いてみる。そこには、陽菜の見慣れない文字がびっしりと並び、ページ全体に奇妙な紋様が描かれていた。ぱらぱらとページをめくっていると、一枚の古い写真が currentIndex currentIndex。若い頃の両親と、見知らぬ男が写っている。写真の裏には、かすれたインクで「あの日の約束」とだけ記されていた。
その夜、陽菜は、魔導書に記されていた呪文らしきものを、何気なく口にしてしまった。それは、まるで古の歌のようでもあり、囁きのようでもあった。すると、部屋の空気が一変した。窓の外を、一瞬、淡い光の筋が横切ったような気がした。その夜、陽菜は奇妙な夢を見た。それは、両親がまだ若かった頃、ある組織からこの「魔導書」を守るために、まるでテロのような激しい戦いを繰り広げていた、という、断片的な記憶の奔流だった。夢の最後、父が、苦しげに呟く声が聞こえた。「これ以上、誰も失わせない…」
陽菜は、魔導書と両親の過去の繋がり、そして「テロ」という言葉に、激しい衝撃を受けた。両親が抱える秘密は、単なる過去の出来事ではなく、今もなお、彼らの心に暗い影を落としていることを悟ったのだ。母は、この魔導書が、悪意ある者の手に渡ることを、何よりも恐れていた。父は、過去の過ち、あるいは守りきれなかった何かを、今度こそ繰り返すまいと、必死に家族を守ろうとしている。陽菜は、両親が背負ってきた重圧、そして彼らが守り続けてきた「何か」の、途方もない重みを知った。
陽菜は、意を決して、両親に魔導書のこと、そして昨夜見た夢のことを話した。初めは、驚きと困惑の表情を浮かべていた両親だったが、陽菜の真剣な瞳を見て、ゆっくりと、しかし静かに、真実を語り始めた。かつて、世界を混乱に陥れようとしたある組織が、この魔導書に宿る力を狙い、両親はそれを阻止するために戦ったこと。その激しい戦いの最中、二人はかけがえのない仲間を失ったこと。そして、魔導書は、その強大な力を悪用されないよう、静かに、そして厳重に守り続けてきたこと。陽菜は、家族がこれまで背負ってきた重荷を、その一部でも共有できたような気がした。そして、自分もまた、この秘密を守る一員になることを、心に誓った。古びた魔導書は、もはや忌まわしい呪われたものではなく、家族の絆そのものの象徴となっていた。窓の外は、穏やかな朝の光に包まれ、新たな一日が始まろうとしていた。それは、ほろ苦さを伴いながらも、確かな希望と、温かい家族の愛情に満ちた、静かな朝だった。