コイン長者の申請

佐藤健太は、極秘裏に進めている「コイン収集」プロジェクトの、ある重要な局面を迎えていた。それは、長年追い求めてきた、あの幻のコインを手に入れるための資金を、会社から「経費」という名目で、こっそり拝借する計画である。そのため、入念に準備した「経費申請書」を、同僚の田中美咲が担当する経理課の窓口に提出しようと、意を決した。

「失礼します。佐藤です。この申請書、ご確認いただけますでしょうか。」

佐藤は、封筒を田中が座るデスクにそっと置いた。田中は、いつものように明るい笑顔で封筒を受け取った。

「はい、佐藤さん。いつもお世話様です。えーっと、『事業拡大のための調査費用』…これでいいのかしら?」

田中は、申請書に目を走らせながら、怪訝そうな顔をした。佐藤が普段から、どれだけ古銭の話ばかりしているか、田中はよく知っている。そして、その申請金額ときたら、明らかに「調査費用」と呼ぶにはあまりにも高額だった。

「あの、佐藤さん。この『調査』って、具体的にどんな…?」

田中は、佐藤の顔を覗き込むように尋ねた。佐藤は、少し視線を泳がせながらも、努めて真顔で答えた。

「これは、会社の未来を左右する、極めて重要な投資です。田中さんには、その全貌はお話しできませんが、必ずや、会社の coffersに莫大な利益をもたらすことになるでしょう。」

「でも、添付資料に、なんか古いコインの写真が…これ、関係あるんですか?」

田中は、申請書から一枚の紙を取り出した。そこには、確かに年代物のコインの写真が鮮明に写し出されていた。佐藤は、観念したように、しかしどこか誇らしげに口を開いた。

「ええ、実は私の趣味が、コイン収集でして。この申請で得た資金は、その、ある特別なコインを手に入れるために…」

佐藤の真剣な、しかしどこか滑稽な様子に、田中は思わず吹き出しそうになった。佐藤の熱意は本物だが、そのやり方はあまりにも無謀だ。経費で個人的な趣味を満たそうとする同僚の申請を通すべきか、それとも上司に報告すべきか、田中は頭を抱えた。

数日後、田中は意外な事実を突き止めた。佐藤が申請した「調査費用」で手に入れようとしているコインは、まさに近々開催されるコインオークションの目玉商品だというのだ。佐藤の真の目的は、会社の経費という名の「前借り」で、そのオークションに参加することだった。

「これは、さすがに部長に相談しないと…」

田中は、佐藤のあまりにも突飛な行動に、最終手段として上司である鈴木部長に報告することにした。

鈴木部長は、佐藤の申請書と田中の説明を、静かに、しかし真剣に聞いていた。「なるほど、これは…」と、部長は深く唸った。

「佐藤君、君の熱意は素晴らしい。だが、会社の経費で個人的なコイン収集をするというのは…」

部長が言いかけると、佐藤は力強く遮った。

「部長、これは会社の歴史に新たな一ページを加える、まさに『歴史的』な投資なのです!このコインは、単なる金属片ではありません。それは、未来への羅針盤、我々が進むべき道を照らす光なのです!」

佐藤の熱弁に、部長はしばらく沈黙した後、ふっと笑みを漏らした。

「わかった。だが、条件がある。そのコインの価値を証明するレポートを、必ず提出すること。それができなければ、君の給料から天引きさせてもらうからな。」

「ありがとうございます!必ずや、ご期待にお応えいたします!」

佐藤は満面の笑みで、深々と頭を下げた。田中は、そんな佐藤を見て「あーあ、また変なことになった」と苦笑いを浮かべた。

佐藤は、申請が通ったことに満足げに、しかしどこか寂しげに、机の引き出しにしまっていた愛用のルーペを磨き始めた。田中は、そんな佐藤の背中を見ながら、「でも、もし本当にすごいコインだったら…」と、ほんの少しだけ、期待する自分がいることに気づいていた。

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