庭の石と戦場の影
自室の窓の外は、どこにでもある郊外の風景だ。生垣の向こうには、隣家の老人が住む、古びた一軒家が佇んでいる。佐伯悠馬は、その隣家の庭を、ほとんど意識せずにいた。彼の意識は、今、目の前のホログラムに映し出された、戦国時代の合戦場に釘付けになっていた。緻密に再現された仮想空間で、彼は己の采配一つで数千の兵を動かしている。現実世界での居場所を見つけられずにいた悠馬にとって、この没入感こそが、唯一の慰めだった。
隣家の老人の行動は、悠馬にとって長らく「気にも留めない」種類の出来事だった。老人は時折、庭の決まった場所に、石を並べ替える。まるで儀式のように、あるいは、ただの気まぐれのように。その無言で静かな営みは、悠馬の孤独な部屋に響くキーボードの音とも、仮想空間の鬨の声とも、全く異なる次元の出来事のように感じられた。
しかし、ある日、異変は静かに訪れた。シミュレーション内の部隊の動きに、奇妙な規則性を見出したのだ。それは、まるで、隣家の老人が庭に置いた石の配置と呼応しているかのようだった。初めは偶然だと思った。しかし、シミュレーション内の兵士たちが、偶然にも悠馬が自宅の庭に配置した数体の兵士と、同じような動きをし始めたとき、その違和感は確信へと変わった。長年、歴史の断片を追い求めてきた悠馬の知的好奇心が、静かに、しかし確かに揺さぶられた。
「あの石は、何か意味があるんですか?」
意を決して、悠馬は隣家の老人に話しかけた。いつものように、老人は無表情で、庭の石を一つ手に取った。その無機質な指先が、夕暮れ時の光を鈍く反射する。
「あの時代は、かくも無駄が多かった」
老人は、それだけを呟き、悠馬の問いには直接答えなかった。その言葉の響きは、悠馬の予想を超えていた。単なる変わり者ではない。もしかしたら、この老人は、悠馬のシミュレーションという「記録」の「外部」から、何らかの干渉、あるいは「観察」を試みているのではないか。悠馬が現実世界で感じている、歴史との断絶。それを、この老人は、静かに、そして静謐に埋めようとしているのかもしれない。
悠馬は、自室に戻ると、シミュレーションのコアプログラムへと深く潜った。解析を進めるうち、外部からのデータ注入の痕跡が、微かに、しかし確かに残っているのを発見した。その痕跡は、隣家の老人が庭で行う「儀式」と、彼が所有する古い道具から発せられる、微弱な電磁波パターンと一致していた。老人は、悠馬のゲームを「記録」している。それは、失われた過去の記憶を、現代に生きる悠馬を通して、追体験しようとする、静かな営みなのではないだろうか。悠馬は、自分自身の孤独が、遠い過去の誰かの孤独と、この庭の石を通して繋がっているのかもしれない、という奇妙な感覚に囚われた。
シミュレーションの終盤、歴史上の勝敗を決定づける、ある重要な戦いの直前。悠馬は、意図的にゲームを中断した。画面が暗転し、現実の部屋に戻る。隣家の老人は、いつものように庭で石を並べ替えている。夕暮れ時の郊外の空は、茜色に染まり、隣家の庭に静かに佇む木々のシルエットが、静謐な影を落としていた。
窓の外のその風景を、悠馬は静かに眺める。隣人が単に歴史の「再現」を愛でているのか、それとも悠馬の「再現」を通して、失われた何かを追体験しているのか。悠馬には、確信が持てなかった。しかし、確かなことが一つだけあった。それは、この広大な歴史の海に、悠馬と隣人、そして彼らの静かな営みが、微かな波紋となって溶け込んでいくこと。現代の静寂の中に、遠い戦国の響きが、かすかに、しかし確かに残響している。それは、失われた過去と現代が、静かに、そして確かに繋がっていることを示唆していた。物悲しくも広大な、静かな余韻が、悠馬の部屋を満たしていた。