AR帝国葬

佐伯梓は、故郷の駅に降り立った。ひんやりとした秋の空気が、かつて彼が長年勤めた佐伯健吾氏の葬儀に参列するために訪れたこの町を包み込む。町は、かつて栄華を誇った「大帝国」の遺産を拡張現実(AR)で再現する観光地として、今もなお賑わいを見せていた。駅前の広場には、ARグラス越しにしか見えない巨大な凱旋門がそびえ立ち、その威容が人々の往来を幻想的に彩っている。

葬儀会場は、健吾が晩年を過ごした郊外の邸宅だった。邸宅は、古き良き時代の建築様式を保ちつつも、最新のARプロジェクターが随所に配置されていた。会場に入ると、健吾の妻である律子が、顔を伏せながらも気丈に参列者たちを迎えていた。その悲しみに沈む姿は、梓の胸を締め付けた。そして、会場のあちこちに映し出される、壮麗な帝国の姿。それは健吾が人生をかけて研究し、愛した「真実」の断片だった。だが、その完璧に再現された帝国の姿の中に、梓は拭いきれない違和感を覚えていた。

葬儀が執り行われる間、梓の視線は、健吾の遺影の横に飾られた、彼が執筆した研究論文の複製に注がれた。ふと、以前、健吾から直接手渡された原稿と、細部が異なっていることに気づいた。特に、帝国滅亡の真相を巡る記述だ。それは、より穏便な、あるいは、都合の良い解釈へとすり替えられていた。律子の、時折見せる虚ろな笑顔や、周囲の参列者たちの、どこか芝居がかった悲しみ。ARで再現される帝国の断片が、現実の町の景観と奇妙に重なり合い、梓の現実認識そのものを揺さぶっていく。

葬儀が終わり、参列者たちが散会した後、梓は健吾の研究室へと足を運んだ。そこは、健吾の情熱と、晩年の秘密主義が混在する空間だった。書棚には、未整理の資料が山積みになっている。その中で、梓は、健吾が隠していたと思われる、一つのUSBメモリを見つけた。それは、未完成のARデータと記されていた。

梓は、書斎のコンソールにUSBメモリを挿入し、データを起動した。目の前に現れたのは、健吾自身のARアバターだった。静かに、しかし熱を帯びた声で、健吾は語り始めた。「梓君、君に伝えなければならないことがある。私が探し求めてきた『真実』についてだ…」

健吾の記録は、衝撃的な事実を明らかにした。大帝国は、その栄華を維持するために、ある少数民族の文化を徹底的に弾圧し、その歴史を抹消していた。健吾は、その「真実」を公表し、歴史の歪みを正そうとしていたのだ。しかし、その記録は、そこで唐突に途切れていた。梓は、健吾の死が単なる病死ではなく、その「真実」を隠蔽しようとする勢力、おそらくは現在のAR帝国観光を推進する者たち、あるいはその背後にいる権力者によって、事故に見せかけられたのではないかと確信した。だが、健吾の最後のメッセージは、梓の予想を大きく裏切るものだった。それは、真実を公表するのではなく、それを「封印」することを選んだ、という決断だった。

「この歴史の重みは、今の社会にはあまりにも過酷すぎる。新たな悲劇を生むだけだ。だから、私はそれを、私の手で、封印する…」

梓は、健吾が遺したデータと、律子から託された健吾の最後のメッセージを照らし合わせた。それは、健吾が「真実」を公表する直前に、妻である律子に宛てたもので、やはり「封印」という言葉が繰り返されていた。健吾は、過去の過ちを暴露することが、現在の社会にさらなる混乱と分断をもたらすと判断したのだ。律子は、夫のその決断を、静かに、しかし揺るぎない確信と共に受け入れていた。彼女の悲しみは、夫の「真実」を守るための、狂気的なまでの静謐さへと昇華していたのだ。

梓は、健吾が遺したARデータと、それを「封印」したという夫の決断、そしてそれを支えた妻の、静かな狂気にも似た決意を前に、理解できない怒りと、冷たい共感に包まれた。健吾が守ろうとした「真実」は、ARの光の中に、永遠に葬られたのだ。

梓は、静かに書斎を出た。邸宅から外に出ると、夜の帳が降りていた。ARで再現された帝国の威容が、彼女の背後で、無機質に輝きを増していく。その光は、彼女の心にぽっかりと空いた虚無を、さらに冷たく照らし出すだけだった。真実を知る者が、それを社会の安寧のために「封印」することを選ぶ。残された者は、その偽りに静かに、しかし狂気的に寄り添う。ARによって再現される過去の栄光は、むしろ現在の虚無と、歪められた真実を際立たせる。梓は、虚無感と共に、冷たい余韻だけを抱えて、静かに町を後にした。

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