独立記念日、隣の奇跡
独立記念日。祝日とは名ばかりで、僕、山田太郎は今日も部屋で一人、静かに過ごしていた。窓の外は、この国の独立を祝う花火が夜空を彩るはずだが、僕の住むこのアパートには、どこか寂しい静寂だけが漂っている。そんな時、ドアがノックされた。隣に住む鈴木さんだ。
「やあ、山田くん。独立記念日だね。今年は…まあ、すごいことが起きる…って、俺の勘違いだろうけどな。」
鈴木さんは、いつもニコニコしているが、何を考えているのか全く読めない。元マジシャンだとかなんとか、そんな噂もある。だから、この意味深な言葉にも、どこか期待と諦めが入り混じった複雑な気持ちになる。「どうせ、また何か変な冗談なんだろうな」と、僕は内心で呟いた。それでも、ほんの少しだけ、心の片隅で期待してしまう自分がいるのが、また面倒だった。
鈴木さんが去って数分後、僕の部屋に奇妙な現象が起こり始めた。まず、冷蔵庫の扉が勝手に開き、中から賞味期限がとうに切れた牛乳パックが、まるで意思を持ったかのように転がり出てきた。驚いて拾い上げると、扉は静かに閉じた。
「なんだ、これ?」
次に、テレビがついた。誰も見ていないはずの深夜番組、それも画面には砂嵐が映し出されている。リモコンを手に取ろうとした瞬間、それは勝手にチャンネルを変え、今度は誰も見ないであろう、古めかしいドキュメンタリー番組に切り替わった。この番組、確か数年前に放送されたきりだったはずだ。
鈴木さんの言葉を思い出した。まさか、とは思う。でも、この不可解な現象の数々は、あまりにも偶然としては出来すぎている。好奇心に駆られ、僕は部屋の隅々まで見回した。どこにも怪しい仕掛けは見当たらない。一体、何が起こっているんだ…?
いてもたってもいられず、僕は鈴木さんの部屋のドアをノックした。しかし、返事はない。何度か繰り返しても、静かなものだ。仕方なく、ドアの前でうろうろしていると、ふいに背後から声がかかった。
「おや、山田くん、どうしたんだい?」
振り向くと、鈴木さんが、いつものようにニコニコしながら立っていた。手に持っているのは、どう見ても手品で使うような、色とりどりのシルクハットだ。
「いや、あの…部屋で、妙なことが起こりまして…」
僕が戸惑いながら説明すると、鈴木さんは面白そうに笑った。
「ふふ、君の好奇心、素晴らしいね。あれはね、私が仕掛けた『独立記念日プレゼント』だよ。」
「プレゼント…ですか?」
「そう。まあ、大したものじゃないがね。昔、テレビで見た手品を、ちょっと真似てみただけさ。」
昔見た手品を真似てみただけ、と鈴木さんは言う。まるで魔法のような現象は、彼の気まぐれな悪戯に過ぎなかったのだ。現代社会に失われつつある純粋な好奇心…なんてものはないだろうけど、まあ、ちょっとした刺激にはなっただろう?と、鈴木さんは楽しそうに笑った。
その、何とも言えない「別に深い意味はない」という残念な事実と、それでも僕の部屋で起こった不思議な出来事の数々に、僕は妙に感銘を受けていた。失われつつある、か。確かに、僕の日常は、驚くようなこともなく、ただ過ぎていくばかりだ。
「さあ、山田くん、君も独立記念日だ。何か新しいことを始めなさい。」
そう言って、鈴木さんはまた、あのニコニコした顔で去っていった。
独立記念日、か。新しいことを始める…。
僕の背中を、鈴木さんの言葉がそっと押したような気がした。ずっとやりたかった、でも、踏み出せなかった「独立」。それは、この部屋を出ていくことかもしれないし、あるいは、もっと別の意味を持つのかもしれない。
隣の部屋から、鈴木さんの鼻歌が聞こえてくる。それは、まるで次の「独立記念日」の予告のようにも聞こえた。いや、ただの酔っ払いの鼻歌かもしれない。いや、もしかしたら、僕が勝手にそう思っているだけなのかもしれない。どちらにしても、僕の平凡な日常に、ほんの少しの、奇妙な彩りが加わったことは確かだった。