土間の奥の解剖

乾いた風が、地方都市の小学校の校庭を吹き抜けていく。元新聞記者の佐伯浩一は、その風に紛れるように、古びた校舎の前に立っていた。数年前、ここで起きたある事件。被疑者とされた男は、あっけなく自殺したと報じられた。だが、佐伯の胸には、ずっと燻り続ける「何かが違う」という違和感があった。

校舎の周りを歩くうち、佐伯の目は、普段は人の気配のない、校舎の裏手にある古い土間へと吸い寄せられた。重厚な木の扉を開けると、そこはひんやりとした空気が満ち、埃っぽい匂いが鼻をついた。そして、床の一角に、奇妙な染みを見つけた。それは、古びた赤茶色。血液とも、薬品ともつかない、不穏な色合いだった。佐伯の経験が、警鐘を鳴らした。

「校長先生、いらっしゃいますか」

佐伯は、校長室にいた山田哲也に話しかけた。穏やかな笑みを浮かべる山田だが、その瞳の奥には、どこか翳りがあった。

「これは佐伯さん、どういったご用件で?」

「数年前の事件について、いくつかお伺いしたいことがありまして。特に、校舎裏の土間についてなのですが…」

山田は一瞬、眉をひそめたが、すぐにいつもの調子に戻った。

「ああ、あの土間ですか。古いものですから、清掃が行き届いていないのかもしれませんね。ただの古い染みでしょう」

核心を避けるような、曖昧な返答。佐伯の疑念は、確信へと変わりつつあった。その日の午後、佐伯は用務員の佐藤恵美に会った。寡黙な佐藤は、佐伯の問いかけに、短く、しかし意味深な言葉を返した。

「あの頃、校長先生が夜中に、薬品の匂いをさせて、何か重そうなものを運んでいたのを、何度か見ましたよ」

薬品の匂い。重いもの。佐伯は、小学校の地下に、かつて使われていた古い研究室があるという噂を耳にした。それは、表沙汰にはなっていない、違法な人体実験が行われていた場所だという。事件の被疑者も、その「被験者」だったのではないか。

校長室の片隅にあった古い記録棚。佐伯は、そこに紛れ込むようにして、埃をかぶったファイルを開いた。そこには、被疑者が実験の失敗で死亡した、という記録の断片があった。そして、その「処理」が、あの土間で行われた可能性が、血のように、いや、薬品のように、色濃く浮かび上がってきた。

土間。それは単なる作業場ではなかった。佐伯の脳裏に、恐ろしい仮説が閃いた。ここで、人体実験の「解剖」すら行われたのではないか。学校が隠蔽した「真実」は、子供たちの未来を守るという歪んだ正義感と、外部の研究機関からの圧力、そして「教育」という聖域を守りたいという校長の保身が、異様な形で結びついた、社会の暗部だった。山田校長は、過去の過ちを、ただひたすらに隠蔽し続けていたのだ。

佐伯は、確信した。土間の染み、研究室の遺留品。それらは、被疑者が実験の犠牲者であったことを、静かに、しかし雄弁に物語っていた。校長室で、佐伯は山田校長と対峙した。

「校長先生、あの土間の染みは、単なる汚れではない。人体実験の痕跡です。あの男は、ここで…」

佐伯の言葉に、山田の顔から血の気が引いた。追い詰められた校長は、ついに沈黙を破った。だが、それは、真実の告白ではなかった。評判を守るための、さらなる偽りの言葉だった。

「佐伯さん、あなたは一体何を…」

その時、用務員の佐藤が、静かに佐伯に近づいた。

「あの染みは、まだ消えませんよ」

その言葉は、佐伯の心に深く突き刺さった。真実は、決して消えることはない。佐伯は、土間の秘密、事件の真相を記事にしようと決意した。しかし、学校側からの圧力、そして、世間がそれを望まないという冷たい現実が、佐伯の前に立ちはだかった。

結局、土間の秘密は、一部の人々によってのみ共有される「真実」として、静かに、しかし確実に葬り去られた。だが、佐藤の言葉が、佐伯の胸に残り続ける。土間の染みのように、真実は、決して消えることはないのだ。それは、いつか、誰かが、再び掘り起こすのを、静かに待っているかのようだった。

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