消えたプレゼントと独立記念日
大学の卒業式が終わり、春の陽光が新しい生活への期待を照らしていた。健太は、慣れ親しんだ実家を離れ、街の片隅に借りた小さなアパートへと向かっていた。今日、九月九日は、健太の二十二歳の誕生日であると同時に、文字通り「独立」する記念日だった。幼馴染の拓海と、大学で知り合った美咲は、この日を祝おうと、それぞれ健太にプレゼントを用意してくれていた。
「健太、ついに一人暮らしだな! 寂しくなったら、いつでも俺の家にこいよ」
拓海は、いつものように屈託のない笑顔で健太の背中を叩いた。美咲も、少し照れたように微笑んで、「健太らしい、落ち着いた部屋になったね。これ、よかったら使って」と、手作りのクッキーと一緒に、上品なラッピングのプレゼントを渡してくれた。
新しい部屋で、健太は深呼吸をした。一人きりの空間。どこか心細さもあったが、それ以上に、これから始まる未知の世界への興奮が勝っていた。まずは、二人がくれたプレゼントを開けよう。拓海からは、実用的な調理器具セット。そして、美咲からのプレゼントは、ずっしりとした重みのある箱だった。健太が以前、憧れの万年筆があることを話していたのを、彼女は覚えていてくれたのだ。
「まさか、本当にくれるなんて……」
健太は期待に胸を膨らませて、箱の蓋を開けた。そこにあるはずの、美しい万年筆の姿はない。代わりに、箱の底には、一枚のカードが置かれていた。そこには、インクの滲んだ文字で、こう記されていた。「七月四日」。
「え……? 万年筆は?」
健太は、箱の中を何度かひっくり返したが、やはり万年筆は見当たらない。ただ、そのカードだけが、ぽつんと残されていた。美咲が、何かを勘違いしているのだろうか。それとも、これは何かのメッセージなのだろうか。
健太は、美咲に電話をかけた。
「美咲、プレゼントのことなんだけど……」
「あ、健太! どうかな? 気に入ってくれた?」
「いや、あの、万年筆が入ってなくて……代わりに『七月四日』って書いてあるカードが……」
「あはは、そうなんだ! ちょっとしたサプライズだよ!」
「サプライズ?」
「うん、まあ、また連絡するね!」
一方的に電話を切られてしまい、健太はますます混乱した。美咲は、一体何を考えているのだろう。健太は、拓海にも相談してみることにした。
「美咲、なんか変わったプレゼントくれたんだよ。『七月四日』ってカードだけなんだ」
「へえ、美咲らしいな。まあ、あいつのことだから、きっと何か意味があるんだろう。それに、健太、お前もそろそろ親元を離れて、自分で『価値』を見つける時なんじゃないか?」
拓海は、どこか遠くを見るような目でそう言った。自分で『価値』を見つける……? 健太は、美咲の言葉と拓海の言葉が頭の中でぐるぐると巡るのを感じた。万年筆は、高価なものだ。でも、それはあくまで「値段」がついているだけだ。美咲が、万年筆を「借りた」のだろうか。それとも、この「七月四日」という日付に、何か特別な意味が込められているのだろうか。
健太は、ふと、美咲が以前話していたことを思い出した。アメリカの独立記念日、七月四日。その日について、美咲はこんなことを言っていた。「本当の独立って、誰かに頼らず、自分で『これだ』と思えるものを見つけることだよ。それに、自分の人生の『独立記念日』には、自分で『これだ』と思えるものを書き記すのが一番なんだ」と。
「まさか……」
健太は、箱の底にあったカードをもう一度見つめた。美咲は、万年筆そのものをプレゼントしたかったのではなく、健太がこれから自分の手で、万年筆に「価値」を与えていくプロセスを祝いたかったのだ。空になった箱は、健太自身がこれから、この万年筆に、自分の人生の物語を書き綴っていくという、メッセージなのだ。
健太は、新しい部屋の窓から、夕暮れの街並みを眺めた。空は、独立記念日を祝う花火のように、茜色に染まっていた。
数日後、健太は美咲と拓海を新しい部屋に招いた。テーブルの上には、あの、空になった万年筆の箱が置かれている。
「ありがとう。最高のプレゼントだよ」
健太がそう言うと、美咲は嬉しそうに頷いた。拓海は、いつものようにニヤリと笑っている。
「これから、この万年筆で、俺の人生の物語を書いていくよ。この箱は、その始まりの場所だ」
健太は、箱をそっと撫でた。物理的に家を出るだけが独立ではない。自分の意志で、自分の足で立ち、未来を切り開いていくこと。そして、それを温かく見守ってくれる友がいること。健太は、友情の温かさと、独立の本当の意味を、改めて噛み締めていた。新しい部屋で、最初に書くのは、この二人への感謝の手紙だ。インクの滲んだ「七月四日」のカードのように、温かい気持ちが、健太の筆先から溢れ出そうとしていた。