叔父の最後の映画

健太は、埃をかぶったフィルム缶に手を伸ばした。亡き叔父、一郎が遺したものだ。一郎叔父は、かつては将来を嘱望された映画監督だった。しかし、晩年は認知症に苦しみ、その輝きは翳っていた。健太は、叔父の最後の作品かもしれないと、期待を胸にフィルムを映写機にかけた。暗闇に浮かび上がったのは、見慣れない古びた映画館の映像だった。それは叔父の作風とは異なり、どこかノスタルジックで、静謐な空気に満ちている。映像は不鮮明で、画面の隅々まで届くような叔父特有の情熱は感じられなかった。「叔父さんの映画じゃないみたいだ…」健太は、期待とは違う映像に、かすかな違和感を覚えた。

フィルムを繰り返し見るうちに、健太は一つの事実に気づいた。映像に映る映画館は、高校時代の恩師、佐藤先生の故郷にある、今はもう閉館したあの映画館ではないか。健太はすぐに佐藤先生に連絡を取った。電話口の先生は、フィルムの話を聞くと、驚いた様子で、しかしどこか懐かしむような声で健太を訪ねてくるよう促した。「もしかしたら、叔父さんが認知症になる前に、先生の故郷で何か特別な映画を撮っていたのかもしれない…」健太の胸に、淡い期待が膨らんだ。

約束の日、健太は佐藤先生と共に、フィルムに映し出された、今は廃墟と化した映画館の前に立っていた。ひんやりとした空気が、二人の頬を撫でる。先生は、健太の手にあるフィルム缶を静かに見つめ、そしてゆっくりと口を開いた。「健太君、これは、一郎さんの作品ではありません」

先生は、静かに語り始めた。それは、先生自身がまだ若かりし頃、一郎叔父の映画に心酔し、助監督として参加した際の記録映像だったという。あの頃、一郎叔父は、ある斬新な企画の映画を撮ろうとしていた。しかし、様々な事情が重なり、その映画は頓挫してしまったのだ。一郎叔父は、晩年、認知症が進む中でも、「あの映画を…」と、繰り返し、まるで夢遊病者のように呟いていたそうだ。先生は、叔父の記憶の断片と、自身が抱き続けた映画への夢を重ね合わせ、この映画館で、叔父が撮りたかったであろう「幻の映画」のワンシーンを、叔父の代わりに再現・撮影したのだと明かした。健太は、認知症になる前の叔父が、誰よりも先生の映画への情熱を理解し、応援していたことを、今更ながら知った。叔父は、先生の夢を、静かに、しかし確かに受け継いでいたのだ。

健太は、叔父の最後の作品ではない、恩師の叔父への敬意と友情が込められた映像に、深い感動を覚えた。それは、健太の叔父への憧れと、恩師の温かい絆、そして映画への尽きない情熱が織りなす、もう一つの「最後の映画」だった。健太は、叔父の遺品を整理する中で、フィルムに映っていた映画館の風景を描いた数枚の絵を発見した。叔父もまた、先生の想いを、言葉にはせずとも、静かに、そして深く理解していたかのようだった。健太は、叔父の穏やかな微笑みを感じながら、この映像と絵を、一生の宝物にする決意を固めた。それは、健太自身の、新たな物語の始まりでもあった。

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