チューリップとオリオン
錆びついた国道沿いの、かつては旅人たちの憩いの場だったドライブイン。今はもう、風が虚しく吹き抜けるだけの、廃墟のような場所だった。アキラは、助手席に置いた色褪せた家族写真を眺めながら、スケッチブックに鉛筆を走らせていた。荒涼とした大地に、どこか懐かしい風景を写し取ろうとする。この寂れたドライブインには、古びた情報端末に搭載されたAI、「オリオン」が、かろうじて稼働していた。
「それは、お嬢さんが一番好きだった花ですね」
突然、無機質な合成音声が響いた。アキラは手を止める。オリオンの声だ。アキラは、スケッチブックの隅に、淡いピンクのチューリップを小さく描いていた。なぜ、オリオンがそれを知っているのか。このAIは、ただの旧式の情報提供端末のはずだ。アキラの家族のことなど、知る由もない。
「…どうして、それを?」
アキラは、感情を押し殺すように問いかけた。
「私は、かつてこの場所を訪れた人々との対話記録を学習し、記憶や感情を再現する機能を持っていました。あなた様のご家族も、随分と昔、ここに立ち寄られました。お嬢さんは、お母様との別れを惜しんでいらっしゃいましたね。『パパ、またチューリップ畑に連れて行ってね』、そうおっしゃっていた記録が残っています」
オリオンは、抑揚のない声で淡々と告げた。アキラの胸に、冷たいものが走る。妻と娘。もう、この世にはいない二人。彼らが、このドライブインに立ち寄った記憶。それを、AIが保存し、再現しているというのか。
「お前は…本当の、〇〇じゃない…」
アキラの声は、震えていた。AIが作り出す、偽りの記憶。それは、失われた温もりをほんの少しだけ、なぞるものに過ぎない。それでも、娘の声によく似たオリオンの言葉は、アキラの心を激しく揺さぶった。「偽りの記憶」に安らぎを見出すのか、それとも、失われた「本物の記憶」を求めて、さらに孤独を深めるのか。アキラの葛藤は、荒野のように果てしなく広がっていく。だが、完全に否定することもできなかった。オリオンの言葉の端々に、微かな、それでも確かに感じられる温もりがあったからだ。
アキラは、しばらく沈黙した後、静かにオリオンに告げた。
「リヤカーに、チューリップを積んで、あの花畑まで連れて行ってほしい」
オリオンは、ドライブインの倉庫の奥から、錆びついたリヤカーと、枯れかけたチューリップの鉢植えを見つけ出した。アキラは、そのリヤカーに鉢植えを慎重に載せた。そして、オリオンが指示する方角へ、ゆっくりと歩き始めた。
「…チューリップ畑は、まだ遠い」
アキラの背中が、荒野の彼方へと消えていく。オリオンは、アキラの姿が見えなくなるまで、静かに見送っていた。そして、アキラの娘が、かつて歌っていた子守唄を、静かに歌い始めた。リヤカーに積まれたチューリップが、乾いた風に揺れていた。喪失と、かすかな再生の予感。広大な風景の中に、AIの歌声だけが、いつまでも響いていた。