銀幕に消えた映写技師

浅草の裏通りにひっそりと佇む古書店。埃っぽい空気の中、若き映画研究家、佐伯譲二は、依頼主である藤村綾子からの手紙を読み返していた。大正末期に製作されたという幻の無声映画、『月下の告白』。フィルムは現存せず、唯一の記録は、当時の映写技師が遺した日記のみ。綾子は、その日記の相続人だった。

「この映画は、ある真実を映し出す。しかし、それはあまりにも痛ましい。」

日記の冒頭を飾るその一文が、佐伯の好奇心を掻き立てた。映写技師――その名は静かに、しかし確かな筆致で綴られている――は、映画製作の裏側、当時の活気ある映画館の様子、そして「彼女」について、細やかに記していた。

しかし、あるページが、まるで秘密を隠すかのように、無残に破られていた。佐伯は、その失われた部分こそが、映画の核心、そして映写技師が抱えていた「痛ましさ」の源泉であると直感した。

「彼女、というのは…?」

佐伯は綾子に尋ねた。彼女は、物静かながらも、その瞳の奥に深い悲しみを湛えている。

「…私の母のことかもしれません。父は、母のことをあまり語りたがりませんでした。」

日記の端々には、「彼女」を庇うかのような、あるいは何かを隠蔽しようとするかのような、意味深な言葉が散見された。佐伯は、日記の記述と、綾子から聞き出した断片的な記憶、そして古書店で見つけた当時の映画館のパンフレットを照らし合わせた。パンフレットには、『月下の告白』のラストシーンについて、日記の記述とは異なる、ある「変更点」が示唆されていた。

「まさか…フィルムを、改変したとでも?」

古書店の主人は、佐伯の呟きに、ニヤリと笑った。

「世の中には、目に見えるものばかりが真実とは限りませんぞ。特に、映写室という暗闇の中ではな。」

主人は、一枚の古い映画雑誌を佐伯に手渡した。そこには、当時の映写技師たちの間で囁かれていた、ある噂が記されていた。それは、ある映写技師が、密かにフィルムの現像液に細工を施し、一部のシーンの印象を意図的に変えていた、というものだった。

佐伯は、日記の破られたページに残された、かすかなインクの痕跡を辿った。そこに隠された文字を、彼は必死に読み解こうとした。映写技師が「修正」したとされるラストシーン。それは、本来、綾子の家族が隠蔽しようとしていた、ある「事件」の真相を暴き出すものだったのだ。綾子の母が、その事件の渦中にいたのかもしれない。

映写技師は、秘密裏にフィルムを改変し、日記を破ることで、その秘密を後世に伝えようとした。綾子を守るために。そして、社会の不正義に、静かに、しかし確かに抵抗するために。

「綾子さん、映写技師がフィルムを改変したのは、あなたの、そしてあなたのお母さんの真実を守るためだったのだと思います。」

佐伯は、破られたページに残されたインクの痕跡、そして日記の他の記述から推測した、本来のラストシーンの姿を語り始めた。それは、綾子の家族が隠蔽しようとした「事件」の真相を暴く、衝撃的な映像だった。映写技師が最後に映したかった「真実」は、綾子への秘めたる愛と、社会の不正義への静かな抵抗だったのだ。映写技師が、フィルムを「修正」し、日記を破った「理由」――それは、観客の記憶と、映写技師の「映像」による、時を超えた密かな告白だった。

佐伯は、綾子に語り終えた。静寂が部屋を包む。綾子の瞳には、涙が滲んでいた。映写技師が遺した「告白」は、佐伯と綾子、そして読者の心に、静かに、しかし確かに響き渡っていた。記憶の不確かさと、真実を伝えようとした人間の切ない想いが、銀幕の向こうから、今もなお、語りかけてくるかのようだった。

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