深夜のブログ、蘇る「あの頃」
仕事に追われる日々は、まるで終わりのないトンネルのようだ。佐藤健太、32歳。都内のIT企業に勤める彼は、今日もまた、深夜の静寂の中、虚無感と共にパソコンの前に座っていた。ふと、懐かしい名前が目に入った。昔使っていたブログのURL。もう何年も放置していたはずだ。好奇心に駆られ、パスワードを思い出しながらログインする。
画面には、20代前半の自分自身が、キラキラした夢と情熱を語る記事の数々が並んでいた。「世界一周したい!」「いつか自分の会社を興すんだ!」あの頃の自分は、なんて無邪気で、なんてエネルギッシュだったんだろう。今の自分とは、まるで別人のようだ。溜息混じりに、しかしどこか懐かしく、記事を読み進めていく。あの頃の熱量、あの頃の希望。それは、今の自分にはもう、遠い記憶の彼方にあるものだった。
スクロールしていくうちに、ある記事のコメント欄に目が留まった。見慣れない名前だが、なぜか妙に引っかかる。そして、その内容に息を呑んだ。「お前、まだブログやってたのか?」「また一緒に音楽やろうぜ!」
タカシ。学生時代、健太とバンドを組んでいた親友の名前だった。くだらないことで喧嘩別れし、そのまま音信不通になっていた。まさか、彼からのコメントだとは。まるで、時間が止まったかのようなメッセージ。あの頃のタカシが、そのまま蘇ってきたかのようだった。健太は、心臓がドクンと大きく鳴るのを感じた。戸惑いと、微かな興奮。そして、数年ぶりに蘇った過去の温かさに、胸が締め付けられる。
「…無視するか。」
そう呟きながらも、指先はタカシの名前をなぞっていた。過去の自分への後悔。今の自分への自信のなさ。バンドを辞めてから、健太は音楽から遠ざかっていた。あの頃の熱意も、情熱も、どこかに置き忘れてしまったようだ。返信を書こうとしても、言葉がうまく出てこない。「あの頃の俺は、どこ行っちゃったんだっけな…」ブログの過去記事を読み返し、当時の自分と今の自分との乖離に、打ちひしがれる。深夜の静寂は、健太の心の叫びを、一層際立たせていた。部屋の明かりだけが、虚しく部屋を照らしている。
数時間、タカシからのコメントを眺めていた健太は、意を決してキーボードに指を置いた。いつもの皮肉めいた冗談を交えながらも、隠しきれない本音を綴っていく。
「タカシ、久しぶり。お前、まだ俺のこと覚えてたんだな。まあ、お前と音楽やってた頃は、確かに楽しかったよ。あの頃の俺は、今より100倍イケてたけどな!笑。でもさ、あの頃の俺は、もういないかもしれない。それでも、お前との音楽は、俺の人生の宝物だった。また、いつか。」
送信ボタンを押す。そして、ブログのトップページに、新たな記事を投稿した。タイトルは「深夜のブログ、復活します。…たぶん。」本文には、数行の短い言葉だけ。
「懐かしい顔ぶれに、ちょっとだけ、顔を出してみました。…また、歌えるかな。」
投稿ボタンを押した、その直後。タカシから、すぐに返信が届いた。「待ってたぜ!まずは、あの頃の伝説の曲からやるか?」「お前のベース、まだ錆びてないだろ?」温かい、そして力強いメッセージ。健太は、思わず声を出して笑ってしまった。まるで、あの頃のタカシが、すぐ隣にいるような気がした。
翌朝、健太は清々しい気持ちで目を覚ました。窓の外からは、朝日が眩しく差し込んでいる。昨夜のブログの更新通知が、スマホの画面にいくつも表示されていた。タカシからの、次の約束を匂わせるメッセージが、止まらない。健太は、笑顔でスマホを手に取った。それは、人生という名のブログが、再び輝き始める予感だった。過去の自分との再会と和解。そして、新たな未来への扉が、静かに開いたのだ。