叔父の顔
鏡に映る自分の顔は、いつもどこか物足りなかった。鼻筋がもう少し通っていれば、目元に深みがあれば、口角がもう少し上がっていれば。そんな些細な不満が、日増しに大きくなっていく。社会は、AIが導き出す「最適化された顔」こそが、幸福への近道だと謳っていた。私も、その波に抗うことはできなかった。カウンセリングルームの柔らかな照明の下、AIは過去数万人の顔面データを解析し、私にとっての「理想の顔」を静かに提示した。それは、誰にでも当てはまる、しかし完璧に美しい顔だった。ただ、その数字の羅列を見つめながら、ふと、叔父の顔が脳裏をよぎった。あの、少し歪んだ、それでいて温かい、叔父の顔が。
叔父が「最適化」を受けたのは、もう数年前のことだった。元々、子供の頃から絵に描いたような温厚な顔立ちだった叔父。しかし、その表情には、どこか寂しげな影が宿っているような気がしていた。それが、AIの施術を受けてから、まるで別人のようになってしまったのだ。かつて、鼻の横にあった小さなそばかすは消え、目尻の皺も滑らかに。それは、確かに「美しい」顔だった。誰にでも好かれる、万人向けの、完璧な顔。叔父は「これで、みんなに嫌われなくなったよ」と、以前よりもずっと穏やかな笑顔で言った。だが、その笑顔の奥に、かつてのような、あの心からの温かさが感じられないのは、私だけだろうか。会話は流暢で、言葉遣いも丁寧。しかし、その声には、芯のない、空虚な響きが混じるようになった気がした。
そして今日、私の「顔の最適化」が終わった。鏡に映ったのは、AIが算出した、紛れもない「最も美しい」顔。しかし、そこには、幼い頃から見慣れた、私の面影はどこにもなかった。まるで、精巧な人形に貼り付けられた、美しい仮面。その夜、叔父から連絡があった。「久しぶりに、顔を見せてくれないか」。会う約束をした。夜の街を歩きながら、私は自分の顔にそっと触れた。まだ、あの「最適化」されていない、不確かな感触がそこにあった。
叔父と再会した場所は、駅前のカフェだった。ドアを開けた瞬間、私は息を呑んだ。目の前にいるのは、紛れもなく叔父だった。しかし、その顔は、数年前に見た時よりも、さらに、誰にも当てはまらない、しかし誰にでもあり得る、平均的な、そして冷たい顔になっていた。かつて、叔父の顔のチャームポイントだった、鼻の横のあの特徴的なホクロさえも、綺麗に消え失せていたのだ。AIのアルゴリズムは、叔父の顔を、さらに「最適化」していた。その顔は、もはや、感情を読み取ることすらできない、完全な「無」の顔だった。
「君も、いつかこの顔に慣れるよ」
叔父は、私に向かって微笑んだ。その微笑みは、あまりにも滑らかで、あまりにも無機質だった。私は、自分の顔も、いつか叔父と同じように、誰にも認識されない、ただの「美しい」顔になってしまうのだろうと、深く理解してしまった。機械学習によって、人間の顔は、その個性を剥ぎ取られ、究極の「最適化」へと駆り立てられる。叔父の顔は、その終着点だったのだ。深い嫌悪感と、どうしようもない虚無感に襲われる。私は、叔父に短い別れの言葉を告げ、一人、冷たい夜の街を歩き出した。自分の顔に、もう一度触れる。まだ、あの「最適化」されていない、曖昧な感触がそこにあった。だが、その曖昧さこそが、やがて消え去る、私の「個性」なのだと悟った。私は、ただ、虚しく夜空を見上げた。無数の星が、冷ややかに輝いていた。