廊下の祟り

「相沢君、残念だが、君の卒業制作は、現時点では評価できる段階にない。来年度、改めて提出し直してもらうことにしよう」

教授の言葉は、静かな部屋に冷たい雨のように降り注いだ。相沢悠馬は、ただ俯くことしかできなかった。これで二度目。二度目の留年が決まったのだ。文学部棟の、埃っぽい空気が肌にまとわりつく。出口に向かう足取りは重く、自然と足は、ある特定の廊下を避けるように曲がった。そこは、かつて才能を謳われながらも、卒業を目前に忽然と姿を消した先輩がいた場所だった。都市伝説のような「廊下の祟り」の噂がある、曰く付きの場所だ。

留年が決まり、相沢の孤立はさらに深まった。課題に追われる日々。誰とも目を合わせず、ただひたすらに机に向かう。そんなある日、ふとしたことから、あの「曰く付きの廊下」の噂を耳にした。単位の取得を巡る教授との確執。先輩は、この廊下で「誰かに見られている」と怯え、次第に精神を病んでいったらしい。そして、ある夜、その廊下で奇妙な現象を見た、という学生の証言もあったとか。相沢は、その話に妙に惹かれるものを感じた。

研究室に籠もりきりの生活に嫌気が差し、気分転換に、意を決してその廊下を歩いてみた。薄暗い照明が、床に落ちる影を不気味に揺らしている。すると、ふと、床に奇妙な「染み」のようなものを見つけた。まるで、誰かが何かをこぼした跡のようだった。数日後、再びその廊下を通ると、染みの形が、前回とは微妙に違っていることに気づいた。まるで、生き物のように、日によって形を変えている。そして、ある日、相沢は、その染みが、まるで「顔」のように見えることに気づいた。歪んだ、苦悶に満ちた顔が、床に浮かび上がっている。背筋を駆け上がる冷たいものが、相沢の全身を凍え上がらせた。

「祟りだ……」

相沢は、その染みに、強烈な「祟り」を感じ、恐怖した。留年が決まったこと、誰にも認められないことへの苛立ち。それらが、この「祟り」を引き寄せたのだと、彼は思い込んだ。先輩と同じように、この廊下で、見えない誰かに監視されているような感覚に襲われる。それは、まるで、自分の内なる醜い感情が、具現化したかのようだった。ある夜、相沢は、その廊下で、過去に自分を馬鹿にした学生の姿を幻視した。恐怖と、抑えきれない怒りが込み上げる。相沢は、その幻影に掴みかかろうと手を伸ばしたが、それは実体のない、虚無だった。その瞬間、廊下の床に、さらに濃く、巨大な「染み」が広がっていくのを目撃する。それは、まるで、先輩が最後に見た、相沢自身の顔を歪ませたかのようだった。相沢の絶叫が、静寂に吸い込まれていった。

数日後、相沢の姿は大学から消えた。教授は、相沢もまた、あの先輩と同じように「失踪」したのだと、事務的に処理した。しかし、文学部棟のあの長い廊下には、以前よりもさらに濃く、不定形の「染み」が広がっていた。それは、まるで、相沢が最後に見た、あの学生の顔を歪ませたような形をしていた。廊下を通りかかった学生たちは、その異様な染みを見ても、「また何かこぼしたんだろう」と、気にも留めない。相沢が本当に「祟り」に遭ったのか、それとも、見えないプレッシャーから逃れるために自ら姿を消したのか、誰にも分からない。ただ、廊下だけが、その秘密を静かに、しかし不気味に、留め続けていた。床の染みは、今日も、形を変えながら、静かに広がっていく。それは、まるで、この大学という名の、見えない鎖に繋がれた人間たちの、叫び声のようでもあった。

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