黒板に書いた「…おわり。」

佐藤健太は、自宅でリモートワーク中だ。オンライン会議の画面越しに、上司である課長が熱弁を振るっている。新しいプロジェクト管理ツールの素晴らしさを力説する声は、画面越しにはどうにも空回りしているように聞こえる。健太は、画面の向こうで身振り手振りを大きくする課長の姿に、まるでコントのワンシーンを見ているような気分になった。自分も昔、舞台で必死に笑いを取ろうと必死だった頃を思い出す。無駄に動き回る課長に、芸人時代の自分を重ねて、妙な親近感を覚えていた。「まあ、俺は『スベる』のが仕事だったけどな」と、健太は心の中で呟いた。

会議が終わり、健太はふう、と一息ついた。ふと、会議中に気になった課長の背後の黒板に目をやる。課長は時折、黒板に何かを書き込んでいるようだったが、画面では全体像も文字も判読できない。「一体、あの黒板には何が書かれているんだろう?」健太の探求心がくすぐられる。もしかしたら、課長の隠された才能の証か、それとも単なる気まぐれか。健太は、芸人時代の「なんでだろう?」という疑問を抱えた時の感覚を思い出し、その黒板の謎を解き明かしたくなった。これは、新しい「ネタ」になるかもしれない。

健太は、課長にこっそりダイレクトメッセージを送った。「課長、先ほどの会議で黒板に何か書かれていたようですが、あれは何だったのでしょうか?」しばらくして、課長から返信が来る。「ああ、あれはね…」と、少し間を置いて、「新しいプロジェクトのコードネームを考えてたんだ。なかなか決まらなくてね。でも、会議中に集中できなくなっちゃうから、もうやめようと思ってね。結局、いい案は浮かばなかったよ。」

「コードネームですか!」健太は驚いた。集中できない?それは、健太もよくあることだった。会議中に、今日の晩飯のこととか、昔の彼女のこととか、色々考えちゃうんだよな。課長も、自分と同じで、ただ「会議」という名の「ネタ見せ」に集中できない、ただのおじさんなのかもしれない。健太は、課長への同情と、自分への諦めが入り混じったような、複雑な気持ちになった。「まあ、俺もいつか、黒板に『…おわり。』って書く側になるんだろうな」と。

翌日の会議。課長は、またしても熱弁を振るっている。健太は、昨日と同じように、課長の背後の黒板に目をやる。課長は、やはり何かを書き込んでいる。今度は、健太も画面を食い入るように見つめた。課長が書き終えた文字が、徐々に画面に映し出される。それは、大きく書かれた「終了!」という文字だった。会議が終わる合図か?いや、違う。その横に、小さく「…おわり。」と追記されている。

健太は、一瞬、課長が会議中に黒板に「会議終了」と書いて、それを合図にしていたのかと思ったが、それにしてはあまりにも寂しい。「おわり。」という文字に、健太は課長への強烈な同情を感じた。まるで、課長自身が、このリモートワークという名の「会議」の「おわり。」を願っているかのようだった。いや、もしかしたら、自分も、この「会議」の「おわり。」を願っているのかもしれない。PCの画面に映る自分の疲れた顔を見て、健太は小さく呟いた。「俺も、もう『おわり』かな…」

健太は、課長に「おつかれさまです」とチャットを送った。返ってきたのは「…おわり。」という一言だけだった。俺も、そろそろ「…おわり。」かな。

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