消えた「いいね!」の行方

早朝の冷たい空気が、まだ寝ぼけ眼の佐藤健太を撫でた。枕元のスマホに手を伸ばし、画面が明滅する。「いいね!」の数を確認するのが、一日の始まりであり、終わりの儀式だった。昨夜、渾身の力を込めて撮影・投稿した、部屋の片隅に立てかけたままの読みかけの本の山と、その横に無造作に置かれたマグカップの写真。「ミニマリストを目指しつつも、どこか生活感があふれる、そんな自分らしさを表現したかったのに」。画面に表示された数字は、健太の期待を裏切っていた。壁には、まだ荷解きしきれていない段ボールがいくつか積まれている。デスク周りも、仕事の書類やガジェットが散乱し、完璧とは程遠い。それでも、この「生活感」こそが、健太という人間を形作っているように思えた。だが、SNSの世界では、それは「未熟さ」としか映らないのだろうか。通知音に一喜一憂する日々。この虚しさを、どうにかしたい。健太は、週末に友人と約束しているショッピングモールでの買い物を楽しみに、なんとか気分転換を試みようとした。

ショッピングモールへ向かう道すがら、健太の頭の中を「断捨離」「ミニマリズム」といった言葉が駆け巡る。SNSでよく目にする、洗練されたライフスタイル。自分も、あんな風になれるのだろうか。ふと、以前から気になっていた最新型のスマートホームクリーナーの広告が目に飛び込んできた。「これがあれば、部屋がもっと綺麗になる。SNS映えする写真も、もっと撮れるようになるかもしれない」。そんな淡い期待を抱き、健太は衝動的にその掃除機を購入した。

最新のスマートホームクリーナーは、想像以上の性能を発揮した。部屋の隅々まで、まるで意思を持ったかのように迷いなく進み、埃一つ残さない。しかし、その完璧すぎる清掃能力は、健太が「これは使えるかも」とSNSに投稿しようとしていた、あの「生活感」までも綺麗に吸い取ってしまった。壁に立てかけられた本の山は、最早「読みかけ」ではなく「積読」として無惨に晒され、デスク周りは、まるでモデルルームのように整然としすぎている。部屋は完璧に片付いた。しかし、SNSに投稿する「ネタ」が、綺麗さっぱり消え失せてしまったのだ。

部屋が完璧になりすぎたことで、健太は奇妙な焦りを感じていた。SNSの「いいね!」を求めていたはずなのに、最新の掃除機が、その「いいね!」の源泉までをも奪ってしまったかのようだ。落ち込みながら、SNSのフィードをぼんやりと眺めていると、ふと、ある投稿に目が留まった。それは、ショッピングモールで偶然見かけた、古びた駄菓子屋の写真だった。色褪せた看板、ガラスケースに並ぶ懐かしいお菓子。SNS映えとは程遠い、しかし、どこか温かい、郷愁を誘う雰囲気。健太は、子供の頃、近所の駄菓子屋で友達と夢中になって選んだ、あのきなこ棒やラムネの味を思い出した。駄菓子屋のおばあちゃんの、皺くちゃだけど優しい笑顔も。SNSの「いいね!」のために、完璧な部屋を目指していた自分が、何か大切なものを見失っていたのではないか。健太は、胸の奥がじんわりと温かくなるのを感じた。

健太は、SNSに投稿するのをやめた。代わりに、その古びた駄菓子屋の写真に、「この前ショッピングモールで、こんなお店を見つけたんだ。子供の頃、よく通ってた駄菓子屋を思い出したよ。懐かしい気持ちになった」というメッセージを添えて、友人に送った。すると、すぐに友人から「返信」が届いた。「わかる!あの店、俺も好きだよ。子供の頃、あそこでよくきなこ棒買ってたんだ。今度一緒に行こうぜ!」という、温かい言葉のやり取り。SNSの「いいね!」よりも、現実世界での繋がりや、些細だけれども確かな温かさこそが、自分にとって本当に大切なものなのだと、健太は気づいた。心が、ふっと軽くなった。完璧な掃除よりも、少し生活感のある部屋の方が、自分らしいのかもしれない。健太は、窓の外に広がる、夕暮れの空を眺めながら、そっと微笑んだ。SNSからは少し距離を置き、現実世界での小さな発見や、人との繋がりを大切にしよう。そんな決意を胸に、健太は、次の「いいね!」ではない、本物の温かさを求めて、静かに歩き出そうとしていた。

この記事をシェアする
このサイトについて