教科書と波と、満潮のひみつ

雨が、ざあざあと窓を叩いていた。ハナちゃんは、あまりの退屈に、ふうっとため息をついた。こんな日は、お家で本を読むのが一番だけど、今日はなんだか、いつもと違う気分だ。そうだ、図書館へ行こう。

海辺の町にある、古い図書館は、ハナちゃんのお気に入りの場所だった。潮の香りがほのかに漂う、静かな空間。古い本の匂いも、なんだか落ち着くんだ。

「こんにちは」

ハナちゃんがドアを開けると、いつもニコニコしている図書館のおじいさんが、カウンターから顔を出した。

「おお、ハナちゃん。こんな雨の日に、どうしたんじゃ?」

「退屈しちゃったんです。何か面白い本、ないかな?」

おじいさんは、ゆっくりと頷き、ハナちゃんを奥の棚へと案内した。そこで、ハナちゃんの目に留まったのは、古びた、海の生き物についての教科書だった。分厚い表紙を開いてみると、色とりどりの魚や、不思議な形の貝殻の写真がたくさん載っている。

「わあ、きれい…」

ページをめくっていくと、「波」についての項目があった。そこには、波がどうやってできるのか、色々な種類の波について書かれていた。でも、ハナちゃんが一番不思議に思ったのは、この一文だった。

『満潮のとき、波はもっと大きくなる』

「満潮…? 波が大きくなる?」

ハナちゃんは、首をかしげた。雨が降っていても、外の海はいつも見ている。確かに、波が高い日もあるけれど、それが満潮とどう関係があるのか、教科書を読んでもよくわからなかった。

「おじいさん?」

ハナちゃんは、おじいさんの元へ駆け寄った。

「あのね、この教科書に『満潮のとき、波はもっと大きくなる』って書いてあったんだけど、どうしてなんだろう?」

おじいさんは、ハナちゃんの言葉に、ゆっくりと目を細めた。そして、優しく微笑むと、ハナちゃんの手を取って、図書館の大きな窓際へと連れて行った。

窓の外は、雨が少し小降りになってきたようだ。鉛色の海が、静かに、でも力強く、砂浜に打ち寄せていた。おじいさんは、その海を指差しながら、ゆっくりと語り始めた。

「ほう、それは面白いところに目をつけたのう。教科書には載っていない、海の、もっと不思議な話をしてあげようかのう。」

おじいさんの声は、まるで穏やかな波の音のようだった。ハナちゃんは、じっと耳を澄ませた。

「お月さまって、知っておるじゃろう?」

ハナちゃんは、こくりと頷いた。

「あの、お月さまはな、海のお友達なんじゃ。夜、海が静かに眠りにつくとき、お月さまはそっと海を抱きしめてくれるんじゃ。そうすると、海はあったかい抱っこに安心して、少しだけ、体が大きくなる。それが『満潮』というものじゃ。」

おじいさんは、さらに続けた。

「そしてな、海がそうして大きくなると、お月さまに『ありがとう』って、もっとたくさんの波を送るんじゃ。だから、満潮のときは、波がもっと大きくなる。お月さまと海が、優しく、そして力強く、抱き合っておる証拠なんじゃよ。」

おじいさんの話を聞きながら、ハナちゃんは窓の外の海を眺めていた。ちょうど、潮が満ちてきているのだろうか。波が、さっきよりも少しだけ、力強くなっているように見えた。

教科書には、潮の満ち引きは月の引力で…と、難しく書いてあったけれど、おじいさんの話は、なんだか心にすっと入ってくる。まるで、海そのものが語りかけてくるような、不思議な温かさを感じた。

「わあ…! 波さんが、お月さまに、むぎゅーってされて、大きくなってるんだ!」

ハナちゃんは、思わず声を上げた。自分なりの、新しい発見だ。教科書には載っていない、海の神秘。それは、お月さまと海が、ずっと昔から続けている、秘密の約束のようなものなのかもしれない。

その時、大きな波が、図書館の窓に、そっと、でも確かな力強さで打ち寄せた。窓ガラスが、波のしぶきでキラキラと光る。

「おじいさん、ありがとう! 海のひみつ、わかった気がする!」

ハナちゃんは、満面の笑みでおじいさんに言った。教科書に書いてあることだけが、全てじゃない。目に見えない、もっと大きな力が、この世界にはあるんだ。それを、心で感じられたことに、ハナちゃんは、なんだかとても安心した、満ち足りた気持ちになった。

雨は、すっかり上がり、空には、淡い虹がかかり始めている。それはまるで、さっきまで波さんが見せてくれていた、お月さまと海のひみつの、キラキラしたプレゼントのようだった。

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