卒業式の日に咲いた、枯れない約束

卒業式の朝。潮風が、窓の隙間から忍び込むように部屋に入り込んできた。陽菜は、祖母・雅子に頼まれた特別な花の手入れをしていた。それは、海辺の小さな町に古くからある、この家が建つ前から咲き続けているという、名も知らぬ花だった。祖母が「呪詛」と呼んで忌み嫌う、ある人物への想いが込められた花。陽菜は、この花が咲くたびに祖母の顔に陰りが出るのを見て育った。祖母は「あれは、もう二度と咲かないはずの花じゃ」とだけ呟く。どうしてそこまで憎むのか、陽菜にはずっと分からなかった。

庭は、祖母の長年の手入れが行き届き、季節の花々が彩り豊かに咲き乱れていた。陽菜は、その特別な花にそっと水をやりながら、ふと、根元近くの土に何か硬いものが埋まっているのに気がついた。掘り起こしてみると、それは古びた手紙の切れ端だった。若い頃の雅子の筆跡だろうか。「あの人のせいで、私のガーデニングは台無しになった…」と、強い怨念のこもった言葉が綴られている。陽菜は、祖母が過去に、ガーデニングを通して誰かに深く傷つけられたのではないかと、漠然とした不安を感じた。

卒業式は、どこか上の空で終わった。母校の校門をくぐるのは、これが最後。陽菜は、幼馴染の薫が、都会からわざわざ会いに来てくれたことに感謝していた。 「陽菜、卒業おめでとう。そして…ごめん」 薫は、少し複雑そうな表情で言った。そして、意を決したように、陽菜の母親が亡くなる直前のことを話し始めた。それは、雅子が憎む「あの人」と、薫が実は親しかったという、衝撃的な告白だった。その「あの人」こそが、雅子のガーデニングの才能を嫉妬し、精神的に追い詰めた張本人であり、雅子に「呪詛」のような言葉を浴びせた人物だったのだ。薫は、あの頃、自分の無力さと、陽菜を傷つけたくないという思いから、真実を隠していたことを深く後悔していた。 「真実を隠すことも、同じくらい陽菜を傷つけることだと思ったんだ。ずっと、ずっと、ごめん」

薫の言葉に、陽菜の胸は締め付けられた。祖母が、どれほどの悲しみと怒りを、長年一人で抱え続けてきたのか。陽菜は、祖母の部屋へと向かった。そこには、祖母の若い頃の写真や、古いガーデニング雑誌が大切にしまわれていた。そして、陽菜が朝手入れしていた花とは別の、枯れてしまったはずの、しかし、その「呪詛」の対象となった人物が育てていたという、別の種類の花の種を見つけた。それは、憎しみながらも、どこか気にかけていた証拠のように思えた。陽菜は、祖母が抱えていた夢や情熱、そして失われたものへの未練を、静かに感じ取った。祖母を、そして母の想いを、解放してあげたい。陽菜は、枯れたはずの花を、再び咲かせようと決意した。

陽菜は、薫に手伝ってもらいながら、枯れたはずの花の種を、卒業式の日に手入れしていた特別な花――それは、亡き母の形見でもあった――の横に、そっと植えた。それは、過去の「呪詛」を乗り越え、新たな命を育むという、陽菜なりの「許し」の行為だった。卒業式の日の、柔らかな光を浴びて、二つの花が静かに、しかし力強く芽吹こうとしている。祖母は、その光景を静かに見守り、陽菜の肩にそっと手を置いた。 「……よくやったな、陽菜」 そのぶっきらぼうな言葉には、深い愛情と、長年の呪縛からの解放が、静かに滲んでいた。二人の間には、言葉にならない、温かい空気が流れた。過去の傷を抱えながらも、未来へと歩み出す決意。ほろ苦さの中に、確かな温かい希望を感じさせる、静かな卒業の日だった。

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