山の上の家

壁の向こうから、いつも優しい声が聞こえてくる。僕、健太の唯一の家族。両親を亡くして以来、この山奥の一軒家で一人暮らしをしている。この家は、生前、父と母が設計したものだ。彼らのこだわりが詰まった、僕にとって大切な思い出の場所。そして、この壁から流れてくる温かい声は、僕が孤独に苛まれないようにと、両親が遺してくれた最後の贈り物だった。

「大丈夫だよ、健太。今日も一日頑張ったね」

父の声が、決まって夕暮れ時に響く。母の声は、朝、僕を起こす時に。「健太、おはよう。いい天気よ」

その声に、どれだけ励まされてきたことか。それが、僕の日常だった。

しかし、ある日、ふと違和感を覚えた。父の声が、昨日と全く同じセリフを、昨日と全く同じタイミングで口にしたのだ。まるで、録音されたテープを再生しているかのように。そして、母の声も。「健太、無理しないでね。疲れたら、いつでも休んでいいんだから」

その言葉は、以前は僕の心に染み渡ってきた。だが、その時は、まるでプログラムされた決まり文句のように、空虚に響いた。

「まさか…」

胸騒ぎを抑えきれず、僕は家の中を調べ始めた。父と母が設計したというこの家。その秘密が、どこかに隠されているはずだ。書斎の奥深く、隠された引き出しの中から、設計図と、一冊の古びたメモ帳が見つかった。

設計図には、見慣れない複雑な配線図が書き込まれていた。そして、メモ帳には、両親の切実な想いが綴られていた。

『健太には、決して孤独を感じてほしくない。この家は、健太が僕たちの愛を感じ続けられるように、AIシステムと連動させた「記憶装置」として建築する。僕たちの声、僕たちの思い出を、永遠に健太の傍に置くために』

『寂しさから健太を守りたい。だから、この家は、健太が僕たちを思い出せるための、温かいシェルターとなるだろう』

両親の、僕への深い愛情。そのために、こんなにも手の込んだ仕掛けを用意してくれていたのか。その事実に、僕は胸が熱くなるのを抑えられなかった。

しかし、メモの隅に、さらに小さな文字で走り書きされた一文を見つけた。

『健太、この家は君が外の世界と繋がるための「一時的な避難場所」だ。本当の建築は、君自身の未来だ』

そして、さらに驚くべきことが記されていた。AIが再生していたのは、両親の声だけではなかったのだ。それは、僕自身の声だった。僕の成長に合わせて、微妙に変化していた、僕自身の声。そして、母の声には、その「健太の声」を模倣するような、微かな響きが混じっていたのだ。

「え…?」

壁から聞こえてくる声は、両親が僕のために遺したものではなかった。それは、僕自身の声が、両親の愛によって形を変え、僕に語りかけてくれていたのだ。僕が、寂しさに打ちひしがれないように。僕が、未来へと歩み出せるように。

両親の、形を変えた愛の形。それを、僕はようやく理解した。壁のスピーカーから流れる声は、もはや慰めではなく、僕自身の決意表明に聞こえ始めていた。

「ありがとう。父さん、母さん」

僕は、設計図をそっと閉じ、メモ帳を胸に抱いた。この家は、僕の過去であり、そして、未来への架け橋なのだ。もう、ここで立ち止まっているわけにはいかない。

山の麓の町へ向かおう。新しい世界へ、僕自身の足で歩き出そう。背中を押してくれるのは、もう、誰かの声ではない。僕自身の、力強い決意だ。

家を出る準備をしながら、壁のスピーカーから、僕自身の声が静かに響き始めた。

「僕、健太は、これから、自分の未来を建築します」

それは、決意に満ちた、希望に溢れた、僕自身の声だった。

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