星屑の土砂場
月面採掘基地「辰巳」は、銀河の辺境でひっそりと、しかし確かに息づいていた。最新鋭の掘削機が銀色の塵を舞い上げる傍ら、基地の片隅に追いやられた修理室では、宗右衛門が旧式宇宙服のメンテナンスに勤しんでいた。鈍く光る鉄の塊に、彼は古き良き職人の魂を宿らせる。
「おい、アキラ。そこの最新型、また調子が悪ぃんだろ」
宗右衛門は、無造作に置かれたヘルメットを指差した。若手エンジニアのアキラは、鼻を鳴らす。
「宗右衛門さん、それはあなたの古い勘で判断するべきものではありません。最新のOSには最新のデバッグが必要です。あなたのような旧世代の技術では、根本的な解決は無理です」
「ふん、最新技術とやらは、すぐ壊れる。ワシの勘は、この月で何十年も生き抜いてきた相棒じゃ。そんなものに、最新技術なんぞ敵わねぇでござる」
宗右衛門は、アキラの言葉を鼻で笑い飛ばし、再び作業に没頭した。アキラは、時代遅れの老人を内心見下しながら、溜息をついてその場を離れた。
その日の採掘作業は、いつも通りに進むはずだった。長兵衛採掘責任者は、不正採掘による地盤沈下を隠蔽するため、危険な区域での掘削を強行していた。最新鋭の掘削機が、月面の静寂を破り、地中深くへと牙を研ぐ。
突如、地鳴りのような轟音が基地全体を揺るがした。凄まじい砂塵が舞い上がり、視界は一瞬にして奪われる。アキラが着用していた最新型宇宙服のセンサー類は、狂ったように点滅を始めた。通信は途絶え、基地との繋がりは完全に失われた。彼の生命線であるはずの技術が、彼を絶望の淵へと突き落とす。
「しまった…!長兵衛さんの指示は…」
アキラは、制御不能となった宇宙服の中で、必死に体勢を立て直そうとした。しかし、激しい揺れは彼を容赦なく地面に叩きつけ、大量の月面塵が彼を飲み込んでいく。
薄れゆく意識の中、アキラの目に飛び込んできたのは、宗右衛門が修理していた旧式宇宙服の残骸だった。センサー類は一切ない。生命維持装置も、必要最低限。しかし、その分、外装は鋼鉄のように頑丈に見えた。まさに、江戸時代のからくり人形のような、古風で野暮ったい代物だ。
「宗右衛門さん…あの鉄屑が…」
宗右衛門の声が、微かにアキラの耳に届く。彼は、修理室から、アキラの置かれた状況を把握していたのだ。
「慌てるな。あの古ぼけた鉄屑こそ、お前の命脈じゃ。だが、その鉄屑は、お前を救うと同時に、お前の心を蝕むかもしれんぞ。感覚で動くんだ。勘で、感じ取るんだ」
宗右衛門の言葉に、アキラは必死に耳を傾けた。最新技術に慣れきった頭では、マニュアルのない、感覚的な操作は苦痛でしかなかった。レバーを引く、ダイヤルを回す。その一つ一つに、指先の感覚を研ぎ澄ませる。
旧式宇宙服の生命維持装置からは、奇妙な電子音が響き、次第にアキラの視界を覆うように、不気味な幻覚が揺らめき始めた。それは、彼が隠蔽してきた不正採掘の現場、そして長兵衛の狡猾な笑みを映し出していた。
一方、基地では長兵衛が、部下たちの救助要請を退けていた。「アキラの件は、後回しだ。それよりも、採掘を再開できるかどうかが先決じゃ!」
宗右衛門は、その無線越しの声を聞き、冷たく嘲笑った。「武士は、道具に頼るな。己の腕と心で、道を拓くものじゃ。だが、その心は、お前のものか?それとも、鉄屑のものか?」
アキラは、宗右衛門の言葉と、己の原始的な感覚、そして迫りくる幻覚に苛まれながらも、なんとか旧式宇宙服を操り、土砂の中から這い出した。しかし、彼が辿り着いた基地は、すでに瓦礫の山と化していた。長兵衛の判断ミスによる二次災害で、採掘機が暴走し、基地機能は完全に麻痺していたのだ。
瓦礫の中から、アキラは長兵衛を発見した。彼は、不正の証拠を隠蔽しようと、最後の抵抗を見せる。しかし、それも虚しく、アキラの目の前で、巨大な瓦礫の下敷きになった。
宗右衛門は、そんなアキラを、静かに見つめていた。最新技術も、旧弊な勘も、そして人間の業も、結局は滑稽な破滅への道標に過ぎなかった。月面塵にまみれたアキラの元に待っていたのは、救済ではなく、さらに深い絶望と、己の精神すらも道具に侵食された、滑稽な現実だった。星屑は、ただ静かに、その愚かな営みを照らし続けていた。