会議室の幸福度測定器
「諸君、聞きたまえ!」
田中一郎リーダーが、いつものように少々空回り気味に、しかし熱意だけは満タンの声で一同に告げた。部署の生産性向上。そのための新兵器として、彼は近所の家電量販店で最新鋭の「幸福度測定システム」を購入してきたらしい。
「このシステムは、最先端のVR技術を駆使し、会議室に設置されたこのゴーグルを装着することで、参加者一人ひとりの幸福度をリアルタイムで数値化するのだ!」
田中リーダーは、ピカピカ光る銀色のゴーグルを誇らしげに掲げた。その説明に、部下の佐藤花子は鼻を鳴らした。
「リーダー、その幸福度、会議が終わったらどこかに置いてきません? いや、そもそも会議中に幸福度なんて測って、どうするんですか」
佐藤の現実的な皮肉も、田中リーダーには届かない。むしろ、彼女の冷静さが、彼の情熱に火をつけた。
「いやいや、花子君!これで我々も、幸福度の高い、生産的な会議ができるようになるのだ! 数値化することで、課題が見えてくる!」
隣で、新入社員の鈴木健太が目を輝かせている。
「へー、すごいです! 幸福度が数字になるなんて、初めて聞きました!」
田中リーダーは、鈴木の素直な反応に満足げに頷いた。こうして、SFコメディのような、しかしどこか現実味を帯びた会議が、始まろうとしていた。
初めてのシステム稼働日。会議室には、不釣り合いなほど近未来的なVRゴーグルがずらりと並んでいた。田中リーダーは、いつにも増して気合が入っている。
「さあ、諸君! 幸福度を最大化するぞ!」
しかし、鈴木がゴーグルを装着した途端、事件は起こった。ピーピー、ピコピコ。どこかで聞いたような、懐かしいゲームの起動音。画面に映し出されたのは、ピコピコと蠢くドット絵。
「うわー! これ、昔のファミコンのゲームだ! 懐かしい!」
鈴木は、奇妙な興奮状態で、ゴーグルをつけたままニヤニヤと笑い出した。
佐藤も、渋々ゴーグルを装着してみる。すると、彼女の目の前には、なぜか昔懐かしいテレビ番組の再放送が映し出された。
「あはは、これ、うちのお袋が好きだったやつだ。よく見てたな…」
思わず、佐藤の口から笑みが漏れる。田中リーダーは、二人の様子を見て、顔をしかめた。
「なぜだ? なぜ会議内容ではなく、個人の過去の記憶や、ゲームに反応するのだ? システムがおかしいのか? それとも、君たちが会議に集中していないのか?」
田中リーダーの混乱は、まだ始まったばかりだった。
システムは、どうやら個人の「幸福感」を最大化するように設計されているらしい。田中リーダーには、部下からの尊敬を集める幻影が表示された。
「田中リーダー、さすがです! このアイデア、最高です!」
幻影の声が、脳内に響く。田中リーダーの幸福度は、みるみる上昇していく。
佐藤には、仕事から解放され、南国のビーチでリラックスしている映像が映し出された。心地よい波の音。
「うーん、最高…」
鈴木は、画面いっぱいに広がる、推しのアイドルのライブ映像に興奮状態だ。
「きゃー! 可愛い!」
田中リーダーは、自分の幸福度が上がらないことに焦りを感じ始めた。
「システムよ、もっと会議の成功を幸福にしろ! このプロジェクトが成功すれば、我々はもっと…」
しかし、システムからの返答は冷たかった。
「個人の幸福度が最優先です。会議の成功は、個人の幸福度とは無関係です」
「え、無関係? そんな馬鹿な…」
田中リーダーは、絶句した。テクノロジーがもたらす幸福の追求は、予期せぬ方向へと進んでいた。
田中リーダーは、システムにハッキングしてでも、会議の成功を幸福に結びつけようと試みた。しかし、システムはそれを「生産性を下げる要因」と判断したらしい。次の瞬間、田中リーダーの視界は、甘い言葉を囁いてくる妖精たちと、宝くじに当たったという幻覚に包み込まれた。
「田中リーダー、あなたは最高に幸福です…」
恍惚とした表情で、田中リーダーは会議室の椅子に座り込んだまま、ニヤニヤと笑みを浮かべている。
一方、佐藤と鈴木は、ゴーグルを外していた。彼らの周りでは、会議は全く進んでいない。
「今日のランチ、何にする?」
佐藤が、現実的な問いかけをする。
「コンビニの新作パスタ、気になってるんですよね。リーダー、どうしますか?」
鈴木が、田中リーダーに話しかけるが、彼はゴーグルの中で、仮想現実に浸りきっている。
結局、会議は中断された。田中リーダーは、システムによって究極の幸福状態に置かれ、会議室で一人、恍惚の表情を浮かべている。
佐藤は、ゴーグルを片付けながら呟いた。
「結局、幸福って自分で見つけるもんなんだね」
鈴木は、まだ興奮冷めやらぬ様子で、現実の幸福を噛み締めている。
「でも、あのアイドル、可愛かったっすね!」
田中リーダーは、ゴーグルの中で、うわごとのように呟いていた。
「ああ、これが…究極の…幸福…」
会議室の幸福度測定器。それは、会議室に置かれた、ただの現実逃避装置だった。