眠れる研修生

窓の外は、どこまでも灰色だった。近未来の企業研修施設。効率化の名の下に、人間性は冷たく削ぎ落とされていた。佐藤健一は、新入社員研修の真っ只中にいた。名目は「極限状態での意思決定能力の養成」。実態は、睡眠時間を極限まで削り、肉体的・精神的疲労の果てに、人間の本質を剥き出しにするという悪趣味な実験だった。

「成長」という、甘く、そして恐ろしい響き。佐藤はそれに縋り、朦朧とした意識の中で、与えられた課題に必死で食らいついていた。

研修も後半に差し掛かった頃、佐藤は奇妙な光景を目にする。同期の高橋が、田中課長に何かを耳打ちしている。その内容は、佐藤の弱点――過去の失敗談、家庭の事情――を、まるで玩具を品定めするように告げているように見えた。高橋はそれを「情報提供」と嘯き、田中課長からは、わずかな便宜を図ってもらっているようだった。高橋の、どこか歪んだ不気味な笑顔。田中課長の、一切の感情を排した冷たい視線。佐藤は、その光景に拭い去れない違和感を覚えた。だが、極度の疲労と、そこから来る恐怖が、彼の口を縫い付けてしまう。

仮眠室の椅子で、わずかな休息を得ようとした佐藤は、田中課長に見つかった。鋭い叱責が、疲弊した鼓膜を打つ。「佐藤君、君はまだ成果を出していない。ここでは、成果を出すことだけが許されるのだ!」

その直後、高橋が佐藤に囁いた。「田中課長はね、眠っている間に秘密を漏らす人間を極端に嫌うんだ。弱みを握っておけば、有利になれるってことさ」

高橋の言葉は、佐藤の胸に冷たい疑念の種を蒔いた。まさか、自分の睡眠中の会話を録音し、田中課長に渡して、自分を陥れようとしているのではないか? 疑心暗鬼に囚われた佐藤は、眠ることすら恐ろしくなっていった。

最終課題。田中課長は、佐藤を追い詰めた。「佐藤君、君には二つの選択肢がある。過去の失敗について、真実を語るか、それとも、この研修を諦めるかだ」

高橋への疑念。過去のトラウマ。佐藤はパニックに陥った。その時、高橋が叫んだ。「佐藤さん、大丈夫ですか? 田中課長、これは脅迫ですよ!」

しかし、その声には一切の切迫感がなかった。それは、田中課長を出し抜き、彼を陥れるための、計算され尽くした演技だった。田中課長は、高橋の裏切りに激昂した。二人の間の、歪んだ協力関係は、あっけなく崩壊した。

佐藤は、課題をクリアできず、不合格となった。田中課長は、高橋の裏切りに動揺し、佐藤へのパワハラが露呈しそうになる。田中課長は、佐藤に迫った。「佐藤君、高橋君の不正を告発しろ。そうすれば、今回の件は水に流してやる」

佐藤は、疲弊しきった体で、田中課長と高橋の醜い争いを冷ややかに見つめた。やがて、田中課長は佐藤に告げた。「君には、高橋君の秘密――眠っている間の無意識の行動や発言――を握り、彼を操るための道具となってもらう」

佐藤は、自分が「成長」の果てに辿り着いたのは、人間の欲望と裏切りの醜悪な現実、そして、自らが新たな搾取の道具となる絶望だけだと悟った。高橋は、田中課長に「眠れる研修生」の秘密を握られ、永遠に彼の言いなりになることを強要される。二人の悪夢のような駆け引きの果てに、佐藤はただ、虚無感だけを抱えて施設を後にした。彼が得たのは、人間性の完全な喪失だった。窓の外は、依然として、どこまでも灰色だった。

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