公園の虚ろな聖杯

夕暮れ時、人気のない公園の片隅に、ユキは一人、ベンチに座っていた。

SNSのタイムラインに流れてくる、眩いばかりの日常。友人の楽しそうな笑顔、旅行先の美しい風景、美味しそうな食事。それらを見るたびに、ユキの胸には、どうしようもない劣等感と、満たされない渇望が募った。

「私も、あんな風に…」

消え入りそうな声で呟く。憧れ、という言葉では生ぬるい、切実な飢え。

ふと、公園の隅にある、古びた水飲み場に目が留まった。誰もいないはずなのに、その場所だけが、妙に不自然な光を帯びている。まるで、誰かがそこにいるかのような、そんな気配。

ユキは立ち上がり、ゆっくりと水飲み場へ歩み寄った。錆びついた金属、苔むした表面。しかし、近づくにつれて、それはまるで、伝説に語られる「聖杯」のように見え始めた。

濁った水が溜まっているはずなのに、ユキの目には、キラキラと宝石のように輝いて映る。そして、その輝きに引き寄せられるように、得体の知れない「少女」が、どこからともなく現れた。

「あなたの『なりたい』を、この水が叶えてくれるわ」

機械的で、感情の欠片も感じられない声。少女は、ユキの心を見透かしたかのように、そう告げた。

ユキは迷った。しかし、少女の言葉は、ユキが心の奥底でずっと求めていたものだった。恐る恐る、ユキは水飲み場に手を伸ばす。

冷たい感触。そして、その水を、ゆっくりと口に含んだ。

味はしない。

だが、その瞬間、ユキの全身を、これまで経験したことのない高揚感が駆け巡った。公園の木々が、夕陽を浴びて鮮やかな緑に燃え上がり、ベンチのペンキの剥がれさえも、芸術的な模様に見える。自分自身が、特別な存在になったような、そんな錯覚。

ユキが再び水飲み場に目をやると、その輝きは増していた。しかし、その水は、先ほどよりもさらに濁り、底の方から、何かが蠢いているような、不気味な影が見えた。

少女は、無表情のまま、ユキに微笑みかけた。

「もっと飲めば、もっと満たされるわ」

その囁きは、ユキの渇望をさらに煽る。この満たされない「憧れ」が、永遠に続くのではないか。そんな恐怖が胸をよぎる。だが、ユキの意思とは無関係に、震える手が、抗えない力に引かれるように、再び聖杯に伸びていく。喉が渇いているわけではない。それなのに、体が、魂が、水を求めている。

ユキは、水飲み場から離れ、再びベンチに座った。その目は虚ろで、表情は変わらない。しかし、彼女の周囲だけ、夕暮れの光が奇妙に集まり、不自然な輝きを放っていた。公園の他の場所は、すでに深い闇に包まれ始めていた。

ユキは、永遠に満たされることのない「憧れ」の聖杯を、両手でそっと抱きしめた。

虚ろな瞳の奥に、一瞬、激しい渇望の炎が灯る。そして、その口元に、微かな笑みが浮かんだ。それは喜びの笑みか、それとも絶望の笑みか。

判別することさえできない、不気味な笑みだった。

公園には、静寂だけが支配していた。ユキは、ただそこに座り続ける。満たされたのか、それとも永遠に渇望し続けるのか。

その答えは、誰にも分からない。

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