展示室の影

文化祭の準備で、校内は賑やかな喧騒に包まれていた。早川杏奈は、高校の新聞部員として、取材のために少し埃っぽい、寂れた博物館を訪れていた。薄暗い展示室には、歴史の重みと共に、どこか物悲しい空気が漂っている。その中で、一枚の説明書きのない、一枚の写真に杏奈の目は釘付けになった。それは、古い新聞記事のスクラップの一部だったのだが、写真の隅に写り込んだ、説明不能な黒い影。得体の知れない恐怖と、不思議な既視感。杏奈は、その影から目を離せなかった。友人の「ねぇ、杏奈ちゃん、この後お化け屋敷行く?今日、限定で新しい仕掛けらしいよ!」という軽快な声が、遠くで響いている。日常の平和な声。でも、杏奈の心は、あの写真の影から離れられずにいた。

「この写真、何かご存知ないですか?」博物館の職員に尋ねても、「さあ、古いものですからねえ」と曖昧な返答しか返ってこない。藤堂先生に相談しても、「杏奈、あまり考えすぎるといけないよ。きっと君の気のせいさ」と、軽くあしらわれてしまった。でも、杏奈には確信があった。この写真、ただの古い写真じゃない。何かの、恐ろしい出来事の証拠に違いない。いてもたってもいられず、杏奈は一人、夜の博物館に忍び込むことを決意した。暗闇の中、監視カメラの映像を遡る。そこに、一瞬だけ、不審な人影が映っていた。誰だか分からない。でも、確実になにか、いる。杏奈の背筋を冷たいものが走った。

夜の静寂が、博物館を支配していた。展示室の明かりを頼りに、杏奈は再びあの写真を見つめる。すると、信じられないことが起こった。写真の黒い影が、蠢き出したのだ。まるで、生きているかのように、ゆっくりと、ゆっくりと、展示室の床を這い始めた。杏奈は、恐怖で声も出なかった。悲鳴が喉の奥で詰まる。本能的に、杏奈は逃げ出した。心臓が早鐘のように打つ。その夜、杏奈の部屋にも、あの影が現れた。悪夢にうなされ、うわ言のように「助けて…」と呟いていた。夢の中、失踪したという少女の声が聞こえたような気がした。あの写真の影が、彼女を、連れて行ったのか。

恐怖に震えながらも、杏奈の心に、ある決意が灯った。「これを、記事にしなきゃ」。新聞部の部室で、杏奈は藤堂先生に必死に訴えた。「先生、あの写真のこと、本当にただの気のせいじゃないんです。あの影は、何かを知っている。あの事件と、関係があるんです!」杏奈の熱意と、彼女の目に宿る恐怖のリアリティに、藤堂先生は真剣な表情になった。「分かった。君の覚悟、受け取った。一緒に調べてみよう」。二人は、博物館の古びた記録を紐解いた。そこで、ある未解決の失踪事件にたどり着く。それは、写真の影と、不可解な繋がりを持っていた。調査を進めるうちに、杏奈は常に背後に、誰かがいるような気配を感じるようになっていた。それは、まるで、影そのものだった。

事件の真相を記事にしようと決意した杏奈と藤堂先生の前に、一人の男が現れた。無表情で、何を考えているのか分からない。男は語った。「私は、この博物館にまつわる、人々の恐怖心を糧とする存在。あの影は、その一部に過ぎない」。男の放つ影が、二人に襲いかかる。杏奈は、過去の事件の犠牲者の無念を思い、恐怖を乗り越えようとした。真実を、報道しなければ。シャッターチャンスを逃すまいと、杏奈は決死の覚悟でカメラを構えた。カシャッ。シャッター音が響き渡った瞬間、男の放つ影は一時的に弱まった。杏奈は、その隙に、記事の核心を掴んだ。

杏奈の記事は、大きな反響を呼んだ。博物館の暗部が白日の下に晒され、事件の真相が明らかになった。謎の男と、あの影は、跡形もなく消え去った。しかし、杏奈の心には、真実を報じた達成感と共に、いつかまた現れるかもしれない、という微かな不安が残った。報道することの重みを、改めて感じていた。次の取材へと向かう杏奈。帰り道、ふと街角の影が、あの日の影のように見えた。思わず立ち止まる。しかし、それはただの、普通の影だった。杏奈は小さく息をつき、前を向いて、力強く歩き出した。真実を報じる勇気。それは、永遠に消えることのない、恐怖心と共に歩む道なのだと、彼女は知っていた。

この記事をシェアする
このサイトについて