最後のブログ記事は、血の味
「人生を変えるエネルギーの秘密」――今日も今日とて、佐藤健太はこのタイトルでブログを更新している。読者数は、まあ、数えるほど。それでも健太は「いつかバズる!」と信じて疑わない。楽天家、いや、単なる能天気と言った方が正確かもしれない。部屋の片隅で、祖母の佐藤花子は静かに編み物をしている。健太は、そんな祖母にいつものように豪語した。「おばあちゃん、俺、すごいブロガーになるから!そしたら、おばあちゃんに高級な毛糸買ってあげるからな!」花子は、編みかけのマフラーから顔を上げ、ニコリと微笑むだけ。健太は、最近少し元気がない祖母の顔色が、どこか気にかかった。だが、それもほんの一瞬。すぐに、頭の中は「エネルギーの秘密」でいっぱいになってしまう。
数日後、健太は猛烈な倦怠感に襲われた。パソコンの前に座っても、指が思うように動かない。ブログの更新もままならない。「まさか、俺のエネルギーが枯渇した…?ブログのネタが…!」焦りが募る。隣で、花子もいつになく青白い顔で、食事もほとんど摂ろうとしない。「おばあちゃん、大丈夫?」健太が声をかけても、「大丈夫だよ」という返事は、ひどく弱々しい。健太は、祖母の異変に気づきながらも、やはり自分のことしか考えられない。ブログのコメント欄に「元気がないね」と書かれているのを見て、「ああ、エネルギー不足のネタって難しいんだよな」と、トンチンカンな勘違いをする始末。花子が夜なべして編んでいたマフラーが、自分のためだったことなど、露ほども気づかずに。
ついに、健太はベッドから起き上がれなくなった。救急車を呼ぼうとする花子を、「大丈夫、俺はタフだ!」と制するが、意識は急速に遠のいていく。次に目覚めた時、見慣れない白い天井が視界に広がっていた。隣には、田中医師が心配そうに顔を覗き込んでいる。「佐藤さん、貧血がひどいですね。輸血が必要ですが、すぐに用意できるものが…」健太は、まだぼんやりとした頭で呟いた。「輸血?俺の血が足りないってことか?エネルギー源が…!」花子が、震える手で健太の腕を掴み、「私の血を…」と申し出ようとしたが、医師は静かに制した。「おばあさんも、かなり衰弱されていますから…」。健太は、祖母の顔色と、「衰弱」という言葉に、ようやく何かがおかしいと気づき始めた。医師の説明は、断片的に健太の耳に届いた。花子が、健太に栄養のあるものを食べさせようと、自分の食事を切り詰めていたこと。そのために、花子自身の栄養が足りなくなっていたこと。しかし、健太の頭はまだ、「エネルギー」という言葉に囚われていた。
医師は、神妙な面持ちで健太に告げた。「佐藤さんのおばあさんは、数ヶ月前から、佐藤さんのために内緒で献血を続けていらっしゃいました。そして、佐藤さんの貧血の原因は、おばあさんがご自身の食事を切り詰めて、佐藤さんに栄養のあるものを与え、さらに、佐藤さんの健康維持のために、ご自身の血を少しずつ提供されていたからなんです」。健太は、血の気が引くのを感じた。花子が編んでいたマフラー。彼女の「大丈夫だよ」という言葉。その全てが、どれほどの無理を隠していたのかを、今、ようやく悟った。輸血が始まってすぐ、健太の口の中に微かに鉄のような味が広がった。それは、花子が流した血の味。健太がブログで語っていた「エネルギー」とは、他者からの無償の愛だったのだと、全身で理解した。医師の説明と、祖母の献身的な行動が、健太の愚かさと、その深い愛情を鮮烈に突きつける。これまで感じたことのない、重い感謝と後悔が、健太の心を締め付けた。
回復した健太は、花子の病室で、感謝の涙を流した。花子は、いつものように静かに微笑んだ。「あなたのブログが、私の元気の源だったから」。健太は、ブログのトップページに、新しい記事を公開した。タイトルは、「最後のブログ記事は、血の味」。読者は一人もいなかったはずのブログに、想定外の数のコメントと「いいね」がつく。健太は、花子が編んでくれたマフラーを首に巻き、震える手で、祖母の手を握りしめた。ブログの「エネルギー」は、確かに、ここに、あった。健太は、花子の温かい手に、そして自身の体に流れる、祖母の血の温もりを感じながら、静かに涙を流した。それは、失って初めて気づく命の尊さと、愛の重みを知った者の、静かな涙だった。