星屑のカルテ
夜空を見上げるのが、アキラの密かな愉しみだった。星屑のように瞬く光の粒は、遠い過去から届く便りのようでもあり、あるいは、まだ見ぬ未来への囁きのようでもあった。
ある日、古い記録媒体の海を漂ううち、アキラは「廃病院」のデータに辿り着いた。それは、かつて「星屑事件」と呼ばれる未解決の犯罪現場として、都市伝説のように語られていた場所だった。データは断片的で、事件の全容を語るにはあまりにも乏しい。それでも、アキラはその静かな呼びに、抗いがたい好奇心を刺激された。
廃病院へと足を踏み入れたのは、そのデータを発見してから間もないことだった。軋む床板、埃を被った医療器具、そして、ひっそりと閉ざされた病室の扉。そこは、時間の流れが止まったかのような、異様な静寂に包まれていた。
しかし、アキラはそこで、単なる静寂以上のものを感じ取った。壁に残された、かすかな光の残滓。それは、単なる視覚的な残像ではなかった。アキラの感覚は、それらを、微かな恐怖や、拭いきれない切なさといった、具体的な感情の残響として捉えた。空気中に漂う微かな記憶の断片は、映像となって現れるのではなく、冷たい触感となって肌を撫でる。まるで、過去の出来事が、アキラ自身の内面に直接干渉しているかのようだった。
その感覚的な残響を解析するうち、アキラは、そこで起きた「犯罪」の断片的な情景を垣間見た。それは、エリカという女性が関わる、不可解な事件だった。
エリカの、微かに震える表情。何かを掴もうとして、虚しく空を切る指先。そして、掠れた声で発せられたであろう、断片的な言葉。
「もう、やめて…」
アキラは、それらの限られた情報から、エリカが誰かを庇おうとしていた、あるいは、何か恐ろしい真実を隠蔽しようとしていた、と推論した。同時に、自身の過去の記憶にも、エリカの面影が、まるで夜空の星のように、ぼんやりと重なり始めた。それは、忘れていた、しかし確かに存在した、誰かの面影だった。
廃病院の最深部。そこには、事件の真相に迫る、決定的な記録が残されていた。それは、エリカが「星屑事件」の犯人ではなく、ある種の「記憶操作実験」の被験者であったことを示唆するものだった。その実験は、人間の感情や過去の記憶を書き換え、あるいは消去するものであり、アキラ自身も、その実験の影響下にあった可能性が、冷徹な記録の断片から示唆される。
アキラは、静かに廃病院を後にした。事件の全貌が明らかになったわけではない。しかし、アキラは、断片的な記憶と、廃病院で垣間見たエリカの姿に、ある種の静かな受容を見出していた。失われた記憶の一部が、エリカの存在を通して、夜空の星のように、アキラ自身の内面に静かに灯るような感覚。自身の存在が、過去の出来事と無関係ではなかったという、静かな繋がり。
夜空を見上げ、アキラは、星屑のように散らばった記憶の欠片が、静かに夜空に溶けていくのを感じていた。それは、悲しみでも、怒りでもなく、ただ、静かな、不思議な余韻だった。まるで、遠い星の光が、今、ようやくこの手に届いたかのように。