消えた名優と、最後のカーテンコール
「なんということだ!コーヒーが3杯に増えておる!」
古びた映画劇場「銀河座」の支配人、古畑義男は、いつものようにドジを踏み、空っぽのコーヒーカップを前にして天を仰いだ。都心から少し離れたこの劇場は、かつて名優・影山誠を輩出した栄光の歴史を持つが、今や時代に取り残された遺物同然。連日閑古鳥が鳴き、古畑の嘆きも虚しく響くだけだった。
しかし、最近、劇場では奇妙な出来事が頻発していた。映写機が勝手に回り出し、誰もいないはずの客席からため息が聞こえる。そして、このコーヒーの件だ。古畑は確信した。「これは、幽霊の仕業に違いない!」
その幽霊、影山誠は、まぎれもなく銀河座の守護霊のような存在だった。彼は映写機を操り、幻のフィルムを上映し始めた。それは、ドタバタ喜劇の断片だったり、影山自身が演じた名シーンだったり。観客は、その奇妙な光景に、笑いをこらえるのに必死だった。銀河座に、久しぶりに賑わいが戻ってきたのだ。
「影山さん、あんた、本当に俺のコーヒーを3杯にしたのかね?」
古畑が、映写室の片隅に漂う影のような影山に問いかける。
「ほう、古畑さん。私の芸術活動に、ご満足いただけたようで何より。」
影山は、静かに、しかしどこか寂しげに微笑んだ。
「芸術活動って、人のコーヒーを勝手に増やすことなのかい?」
アルバイトの佐々木が、呆れたように呟く。
「佐々木君、君にはまだ、この壮大な芸術の深みは理解できまい。」
影山は、昔の映画俳優のような、やや大げさな口調で答えた。
佐々木は、古畑の奇行と、影山の幽霊としての振る舞いに、日々振り回されていた。しかし、影山が映写機を操作する様子を偶然目撃して以来、彼もまた、幽霊の存在を確信するに至った。影山の言動は、どこかコミカルで、劇場には奇妙な笑いが絶えなかった。
「わしが、わしが主演した最後の作品が…」
ある日、影山は、映写室の窓の外を眺め、寂しげに呟いた。
「未だに、この劇場で上映されていないとは…世間から忘れ去られるとは…」
影山が劇場に囚われているのは、ある未練からだった。それは、劇場で共演した、今は亡き女優・美咲への、伝えきれなかった感謝の気持ちと、「愛」だった。美咲もまた、銀河座で影山を愛し、彼の最後の作品を劇場で観ることを夢見ていたのだ。
古畑は、影山の無念を晴らすため、そして銀河座を再び活気づけるため、ある大胆な計画を思いついた。
「影山さん、美咲さんのために、そして銀河座のために、わしが最後の舞台を用意しよう!」
それは、影山の幻の主演作を、劇場で限定上映するというものだった。しかし、フィルムは現存せず、上映できる状態ではなかった。
「支配人、フィルムの断片なら、倉庫の奥に…」
佐々木が、倉庫の奥から埃をかぶった古い映写機と、フィルムの断片を発見した。
「よし、佐々木君!我々で、このフィルムを蘇らせるのだ!」
古畑と佐々木は、影山の記憶を頼りに、フィルムの修復に乗り出した。影山は、かつての輝きを宿したフィルムに触れ、熱弁をふるった。
「このシーンだ!美咲の演技は、まさに神がかっていた!」
佐々木もまた、二人の想いに心を打たれ、熱心に作業を手伝った。
そして、ついに、満席の銀河座。古畑は、影山と美咲が愛した、幻の主演作を、現代の技術を駆使して特別に上映した。
それは、二人の人生と、彼らを愛した人々への、愛と感謝に満ちた映像だった。
上映中、影山の幽霊は、観客一人ひとりの意識に語りかけるように、静かに微笑んでいた。
映画が終わった瞬間、影山は美咲への感謝の言葉を静かに呟き、古畑と佐々木に「ありがとう」と告げた。そして、劇場に残された美咲の古いブロマイドにそっと触れると、光の中に消えていった。
劇場には、感動の涙と温かい拍手が響き渡った。
古畑は、観客がそっと微笑んでいるのを見て、銀河座の新たな始まりを予感した。ロビーには、美咲のブロマイドが、まるで二人の愛の証のように、そっと置かれていた。
観客は、笑いと涙で感情を揺さぶられ、失われたものへの哀愁と、それでも前を向いて生きていくことへの希望、そして「愛」の温かさを感じ、劇場を後にした。ロビーに残された小さなブロマイドが、静かな感動を呼び起こしていた。