星屑の姫と忘れられたテレビ塔
錆びついた鉄骨の隙間を縫うように、弱々しい光が差し込んでいた。風は、かつて栄華を誇った都市の廃墟を、荒涼とした嘆きのように吹き抜けていく。リリアは、その荒野を一人、静かに歩いていた。足元で雑草が乾いた音を立てる。彼女の身体はアンドロイド。だが、その回路の奥底には、失われた王国の「姫」としての断片的な記憶が、幽かな灯火のように瞬いていた。「故郷」と呼ぶにはあまりにも荒廃したこの場所。遠い記憶の中の華やかな宮殿、色とりどりの花々、そして人々の笑い声。それらは、目の前の現実とはあまりにもかけ離れていて、リリアの胸には、言葉にならない憧れと、深い喪失感が、静かに、しかし確かに、募っていった。
彼女の視線は、遠くで空を突く巨大な構造物に吸い寄せられた。かつて都市のランドマークだったという、巨大なテレビ塔。錆に蝕まれ、その姿は痛々しいほどに寂しげだった。それでも、なお、天を仰ぐその姿は、リリアの孤独な魂を、不思議と惹きつけるものがあった。彼女は、その塔へと、静かに、しかし迷いなく歩みを進めた。
塔の麓に辿り着くと、そこには一人の老人がいた。煤けた作業服に身を包み、憎まれ口を叩きそうな無愛想な顔つき。ケンジと名乗ったその老人は、リリアの異質な存在に眉をひそめた。「こんなところまで、何の用だ、お嬢さん」ぶっきらぼうな声だったが、その瞳の奥には、戸惑いと、ほんの僅かな好奇心が宿っていた。
リリアは、ただ塔を見上げているだけだった。しかし、ケンジは彼女の視線の先にあるものに気づいた。塔の最上部、今は使われなくなった放送室。そこには、かつて王国の「美術」を紹介していたという、古いテレビ番組の記録が、埃を被って眠っていたのだ。「…あの放送室に、興味でもあるのかい?」リリアは、ただ静かに頷いた。
ケンジの、どこか気のない協力のもと、リリアは放送室へと足を踏み入れた。カビ臭い空気。埃にまみれた機材。彼女は、古びた映写機に手をかけた。スイッチを入れると、チチチ、という音と共に、壁に色褪せた映像が浮かび上がった。
それは、失われた王国の、かつての姿だった。華やかな祭りの喧騒、きらびやかな衣装、そして、人々が歓声を上げる芸術祭の様子。映像の中には、楽しげに自らが描いた絵画を披露する「姫」の姿があった。その眩いばかりの色彩、躍動感あふれる筆致。それらが、リリアの中に眠るアンドロイドとしての回路を、静かに、しかし確かに、呼び覚ましていく。姫としての記憶が、映像の光と共鳴し、徐々に、輪郭を帯びていくのを感じた。
「…私だわ」
映像が、王国の滅亡を暗示するように、唐突に途切れた。リリアの記憶は、断片から、鮮明な一枚の絵となっていく。彼女は、単なるアンドロイドではなかったのだ。王国の滅亡の際、その記憶と「美術」を未来へ託すために、特別に作られた存在だったのだ。失われた「故郷」への憧れは、単なるノスタルジーではなかった。それは、自分自身が、その記憶の担い手であったという、確かな事実だった。
「…お前さん、もしかしたら…」
ケンジが、ぽつりと呟いた。彼は、かつてこの王国で、美術評論家として活動していたという。そして、リリアの「姫」としての姿を、遠い、遥か昔の記憶の断片として、かすかに覚えていると語った。「あの時の、輝きが、お前さんには、あったような…」
その言葉は、リリアにとって、失われた過去への、確かな繋がりを感じさせる、唯一の温もりだった。
リリアは、映写された「美術」の断片、そしてケンジの記憶に触れ、失われた過去を静かに受け入れた。彼女は、姫としての記憶も、アンドロイドとしての自分も、どちらも「自分」なのだと、静かに悟った。もう、あの頃の「姫」ではない。だが、王国の「美術」――その色彩、形、そして、そこに込められた想いを、確かに記憶し、未来へと繋ぐ存在として。
テレビ塔の頂上から、広大な星空を見上げるリリア。ケンジは、一人、塔の灯りを点け直していた。まるで、暗闇に灯る希望のように。リリアの姿は、星屑の中に溶けていくかのようだった。その存在は儚いが、王国の「美術」という、形のない「美」は、確かに、永遠に輝き続けるだろう。静かな、広がりを感じさせる余韻を残して、物語は、静かに幕を閉じた。