鏡餅の目

正月三が日。佐藤健一は、旧友の田中浩二と久しぶりに顔を合わせた。都心から離れた地方都市の、正月らしい静けさが街を包んでいた。佐藤の経営する中小企業は、昨年来、資金繰りに窮していた。その気配を察したらしい田中の口から、唐突に「ある話」が持ち出された。最新のIT技術を謳った、実態の不明瞭な投資話。田中は「友人の健一には、特別に儲かる話だけ」と、恩着せがましい言葉で佐藤を誘い込んだ。「友情」という名の見えない鎖が、佐藤の首にかけられた。自宅の神棚に鎮座する鏡餅が、その光景を静かに見守っていた。表面の鏡餅に刻まれた陰影が、まるで人の目のような形を成している。それは、田中の言葉に隠された「何か」を暗示しているかのようだった。

部下の山田敏郎から、改めて会社の資金繰りの厳しさを報告されたのは、その翌日のことだった。月末の支払い、従業員の給与。焦燥感が佐藤の胸を締め付けた。視線は無意識に自宅の神棚へと吸い寄せられる。鏡餅の「目」が、佐藤をじっと見つめていた。その視線は、田中の言葉に潜む欺瞞を、あるいは佐藤自身の弱さを、冷徹に見抜いているかのようだった。

佐藤は、田中の持ちかけた投資話について、独自に調査を開始した。インターネットの断片的な情報、過去の類似事例。やがて、それが詐欺まぐるしい「ポンジ・スキーム」である可能性が高いという結論に至った。しかし、田中は佐藤の疑念を巧みにかわした。「君は心配しすぎだ。これは俺たちのような旧知の仲だからこそ話せる、特別な話なんだ。みんな、こういう時代だからこそ、ちょっとした『仕掛け』で上手くやっている」。社会に蔓延る「みんなやっているから大丈夫」「旧知の仲だから安心」という、根拠のない「友情心」による盲信。その集団的欺瞞こそが、このような詐欺を成り立たせている構造そのものであることに、佐藤は薄々気づき始めていた。鏡餅の「目」は、その冷酷な構造を、表情を変えずに映し出していた。

正月休みが明け、佐藤は田中との最終的な契約の場に臨んだ。ホテルのラウンジ。静かに流れるジャズ音楽とは裏腹に、空気は張り詰めていた。佐藤は、これまで集めてきた証拠の数々をテーブルに広げた。「これは、多くの人間を破滅させる『呪物』のようなものだ」。佐藤の言葉は、田中の飄々とした態度を崩した。「健一、君も、みんなと同じように、この『構造』に乗るべきなんだ。今さら、そんな古い考えに固執する必要はないだろう」。田中は、佐藤の良心につけ込もうとした。しかし、佐藤は断固として投資を拒否した。鏡餅の「目」は、この場の緊迫した空気を、微動だにせず映し出していた。

佐藤は、田中との関係を断ち切った。会社は依然として厳しい状況にあったが、正規の手段で再建を目指す決意を固めた。年末年始にかけて、田中の甘言に乗り、静かに破滅していく人々の姿が想像された。彼らは「友情」という名の集団的欺瞞に酔いしれ、自らを「呪物」へと差し出したのだ。鏡餅の「目」は、その社会の「構造悪」を、静かに、そして冷徹に見つめている。個人の「友情心」がいかに容易く集団的欺瞞へと変質し、社会の「呪物」となるのか。佐藤は、この構造悪を告発するために、かつて新聞記者だった経験を活かし、この一件を記事にする決意を固めた。読後には、個人の良心と、社会の集団的無関心との間で揺れ動く、重い問いが残る。鏡餅の「目」は、今、読者であるあなたにも向けられている。

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