甘い毒

子供部屋から聞こえる奇妙な物音。息子は怯え、母親は苛立った。壁を叩く音、物が動く音。まるで、見えない何かがそこで悪戯をしているかのようだ。母親は眉をひそめ、息子の訴えを「気のせいよ」と一蹴した。しかし、その言葉とは裏腹に、彼女の胸には冷たい疑念が渦巻き始めていた。息子が、自分から注意をそらそうとしているのではないか。そう、母親の愛という名の支配から逃れるために、作り話をしているのではないかと。

息子はますます子供部屋を怖がるようになった。部屋のドアを見るだけで、その小さな肩は震え、母親の背中に隠れようとする。そんな息子を、母親は無理やり部屋に押し込めた。そして、その度に鼻を突く、奇妙な甘い匂いに気づいた。それは、息子が好んで飲む、あの手作りのベリージュースの匂いに似ていた。だが、もっと濃く、もっと人工的で、どこか腐敗したような響きを伴っていた。母親は、息子がジュースをこぼしたに違いないと決めつけ、子供の無邪気な反論など聞く耳を持たなかった。

母親は、近所のママ友たちに、息子の子供部屋で起きているという「ポルターガイスト現象」の噂を吹聴し始めた。もちろん、それは息子が「構ってほしいから」嘘をついているという前提での話だ。母親は、自分の「大変さ」をアピールし、周囲からの同情と羨望を一身に浴びようとしていた。夫は、いつも通り無関心だった。母親の愚痴を聞き流し、自分の平穏だけを望んでいる。母親は、息子がポルターガイスト現象を訴えるたびに、彼に無理やりベリージュースを飲ませ、部屋に閉じ込めた。それが、息子の落ち着きを奪い、さらに奇妙な言動を引き起こすためのおまじないだと、彼女は信じ込んでいた。歪んだ愛情という名の毒。

ある日、息子は子供部屋で、母親に囁いた。「ジュースを飲むと、窓の外にいる『あの人』が喜ぶんだ」。母親は、息子の言葉をポルターガイストの仕業だと解釈し、さらに息子にジュースを強要した。しかし、部屋から聞こえてくる音は、次第に子供のすすり泣きのようなものに変わっていった。母親は、息子の「構ってほしい」という甘えがエスカレートしたのだと決めつけ、ますます冷たくあしらった。子供の純粋な悲鳴を、自己愛の歪んだ具現化として、彼女は己の心に封じ込めた。

夜、子供部屋から異様な物音が響き渡った。母親は苛立ちながらも、様子を見に部屋へと向かった。部屋は荒れ果て、おもちゃは散乱し、息子はベッドの上でぐったりと横たわっていた。テーブルの上には、半分ほど残ったベリージュースのグラスが置かれている。母親は、息子に怒鳴りつけた。「もう、勝手なことばかりして!」。しかし、息子は全く反応しない。母親が息子の顔色を窺うと、その目は虚ろで、口元には微かに甘いベリーの匂いが漂っていた。母親は、息子が自分でジュースを飲み干し、その「甘い毒」にやられてしまったのだと悟った。しかし、彼女は息子の異変に気づきながらも、それを「自分のせい」だとは微塵も思わなかった。「この子ったら、わざと私を困らせるんだから」。そう独りごち、虚ろな息子の隣で、自分もまた、息子が飲んでいたジュースに手を伸ばした。子供部屋の窓の外では、不気味な静寂が辺りを包み込んでいた。虚飾に満ちた母の愛は、無垢な子供の命を静かに、しかし確実に蝕んでいった。そして、その毒は、母自身をも侵食し始めていた。窓の外の闇は、そんな二人を静かに見守っているかのようだった。

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