桜吹雪、虚無の誓い
桜吹雪が、まるで血の雨のように、この寂れた公園を紅く染めていた。かつて、幕府の影が色濃く残るこの東京の片隅で、俺たち三人の時間は、この満開の桜のように、永遠に続くものだと信じていた。幼馴染の健太。その優しくて、いつも俺の心を溶かしてくれる温かな眼差し。その眼差しが、今、橘沙耶という名の毒蛇に絡め取られていくのを、俺はただ、見ていることしかできない。沙耶の指先が、健太の腕に触れる。そのたったそれだけの仕草が、俺の心臓を氷のように凍てつかせた。嫉妬だ。喉元までせり上がってくる、熱く、醜い嫉妬。桜の花びらが、舞い散る。俺のこの、どうしようもない感情を、隠すように、ただひたすらに舞い散る。
「ねぇ、健太。この桜、綺麗ね」
沙耶の声は、甘く、蜜のように滑らかだった。だが、その蜜には猛毒が仕込まれていることを、俺は知っている。健太は、戸惑ったように視線を彷徨わせる。俺の方を見てほしい。俺だけを見てほしい。でも、健太の視線は、沙耶の奔放な魅力に、まるで蝶が炎に吸い寄せられるかのように、囚われていた。沙耶は、俺の目の前で、健太にさらに大胆に迫る。その熱に、健太の体が微かに揺れるのがわかる。俺と健太の間に、かつて流れていた、あの温かく、穏やかな空気が、今はもうない。代わりに、二人の間に流れるのは、窒息しそうなほどの熱量。それは、俺の嫉妬と、健太への純粋な愛情が、そして、沙耶への激しい怒りが、複雑に絡み合って生まれる、俺自身の熱だった。息が詰まる。この桜並木が、まるで、俺の心を締め付ける鎖のように感じられた。
このままでは、ダメだ。この、胸の奥底に、ずっと沈めてきた想いを、今こそ伝えなければ。健太に、俺のこの、どうしようもなく溢れ出す想いを。だが、その決意を固めた矢先、俺の目の前で、信じられない光景が繰り広げられた。沙耶が、健太の唇に、自らの唇を重ねたのだ。公園のベンチに、俺は一人、取り残された。桜吹雪が、俺の流れる涙を、まるで嘲笑うかのように、ひらひらと舞い散る。それは、悲しみではなかった。怒りだった。健太への、沙耶への、そして、こんなにも醜い自分自身への、抑えきれない、激しい怒りの奔流だった。俺の心は、もう、限界を超えていた。
「…健太…」
桜の木陰に身を潜め、二人の声に耳を澄ませた。沙耶の声が、健太の耳元で囁く。
「もう、私だけを見て。ね?」
健太の声が、震えている。俺は、この耳を塞ぎたいと思った。だが、この耳は、俺の心を抉る真実を聞き逃すまいと、必死に震えていた。
「…凛のことも…」
その、か細い呟き。凛、と。俺の名前だ。健太は、俺のことを、まだ…?
だが、沙耶は、その言葉を許さない。嫉妬と愛情が、俺の心を激しく掻き乱す。怒り、悲しみ、そして、健太への、このどうしようもない愛。それら全ての感情が、俺の体の中で、マグマのように煮えたぎり、臨界点へと達しようとしていた。もう、何もかも、どうでもいい。この熱を、ぶつける場所を、俺は求めていた。
桜吹雪が、激しく舞い散る。その紅い渦の中を、俺は駆け出した。健太と沙耶の目の前に、躍り出た。俺の瞳は、怒りと悲しみで、燃え上がっていた。
「健太ァァァァァァァ!!!」
俺の魂の叫びが、公園に響き渡った。それは、ずっと、ずっと、この胸の奥底に押し込めてきた、全ての感情を吐き出す、渾身の叫びだった。健太は、驚愕の表情で、俺を見つめている。沙耶は、その口元に、冷酷な笑みを浮かべた。三人の感情が、激しくぶつかり合い、桜吹雪のように、空中に掻き乱される。その刹那、全てが、突然、終わった。俺の叫びは、虚無へと消えゆく、誓いのようだった。空しく、ただ、響き渡るだけだった。