祖父の退化した電波塔
祖父が遺した電波塔が、もうすぐ無くなる。解体が決まったと聞いた時、まず感じたのは、錆びついた鉄骨の冷たさだった。指先でそっと触れると、その無機質な温度が、まるで祖父の晩年の体温のように、じんわりと指の腹に染み込んでくる気がした。
祖父は、年々「退化」していく自分を、この電波塔を見上げながら、どう思っていたのだろう。言葉少なになり、遠くを見つめるだけの祖父。その背中を、私はこの丘の上から何度、見送ったことだろう。風が軋ませる音、鉄骨が時折唸りを上げる音。それら全てが、祖父の記憶と共に、私の五感に深く刻まれていた。解体される前に、もう一度だけ、この場所に来たかった。
解体作業について調べていると、奇妙な引っかかりがあった。祖父は、最晩年まで古い無線技術に固執していた。しかし、そこに「WiFi」という言葉を見つけたのだ。それは、祖父が触れていたものとは、全く違う。指先で、祖父が遺した古いノートをなぞる。インクの染みは、もう消えかかっていたけれど、かすかに、祖父の体温が残っているような気がした。そこに書かれた「退化」と「接続」という、意味不明なメモ。それは、私に一体何を伝えようとしていたのだろう。
意を決して、陸に話してみた。クラスでも目立たない、クールで無口な彼。でも、古いものへの興味を、私の横顔でそっと覗き込んでいた、あの眼差し。まさか、こんな私の個人的な悩みに、彼がどう応えてくれるのか、期待なんてしていなかった。それでも、彼なら、もしかしたら。
「電波塔、か。おじいさん、そこで何をしていたんだろうね」
陸の声は、いつも通り静かだった。でも、その声の響きに、ほんの少し、探るような、優しい熱が混じっているように聞こえた。私の頬が、じんわりと熱くなるのを感じた。
丘の上まで、二人で歩いた。夕暮れが近づき、空は茜色に染まり始めていた。電波塔は、その巨体を夕日に溶かしながら、静かに佇んでいる。錆びついた操作盤。無数の配線が、まるで絡まった蔦のように、無造作に這いまわっていた。
「これ…」
私が、祖父が使っていたらしい古い無線機に触れる。金属の冷たさ。指先が、その冷たさを吸い込むように、微かに震えた。祖父の指が、ここに触れていたのだ。その記憶が、鮮明に蘇る。指先から、じんわりと熱が広がるような、不思議な感覚。
陸が、ふと、ある部分を指差した。そこには、現代のWiFiルーターに似た、白い部品が、古い配線の一部に、不自然に、しかし確かに接続されていた。
「これは…」
祖父が、恐れていた「退化」を食い止めるために、古い技術と新しい技術を、無理やり繋げようとしたのだろうか。その部品に、無意識に指先が触れた。瞬間、指先に微かな電気が走ったような感覚。そして、胸の奥から、じんわりと熱が込み上げてきた。
それは、祖父が願った「接続」への想い。そして、陸への、密やかな、だけど確かな想い。二つの熱が、私の指先で重なり合ったような、そんな気がした。
陸が、私の頬が赤く染まるのを感じ取っていたのだろうか。夕暮れの丘の上。言葉にならない熱が、二人を包み込む。彼の視線が、私の顔を捉えている。その熱を、私も感じていた。不意に、陸の指先が、私の手の甲に、ほんの僅かに触れたような気がした。鳥肌が立ち、鼓動が速まる。指先が痺れるような、甘酸っぱい感覚。陸の視線は、私を捉え続けていた。
その視線は、もう、私だけを見ていた。夕暮れの光が、二人の間に、暖かく、そして静かに降り注いでいた。陸の唇の端が、微かに持ち上がるのを見て、私の胸の奥が、温かくなるのを感じていた。