模試と、君の体温
明日の全国模試。数学の成績は壊滅的だ。冷房の効きすぎた教室は、まるで氷の棺のよう。陽葵は、隣の席で悠斗がさらさらと書く鉛筆の音を聞きながら、ひたすら憂鬱だった。あと数分で放課後。勇気を出して、悠斗に「お願いがあるんだけど」と切り出そうとしていた。でも、言葉は喉の奥で凍りついてしまう。結局、悠斗が顔を上げて「陽葵、明日頑張れよ」と、いつものように明るく笑いかけただけだった。「うん…ありがとう」指先が、かすかに震えた。夕暮れの熱気が、肌にじっとりとまとわりつく。一人で帰る道は、いつもより長く感じられた。
自室に戻り、机に向かう。模試の過去問を開こうとした、その時。部屋の片隅に、見慣れないものが置かれているのに気づいた。それは、無数の配線が絡み合い、鈍い光を放つ奇妙な装置。どこかで見たことがあるような、ないような。まるで、SF映画に出てくる「タイムマシン」のようだった。その隣には、見慣れないメッセージカード。ひんやりとした空気が、部屋全体を包み込む。
『これは、後悔した時間を一度だけやり直せるタイムマシン。あの日の君に、伝えてほしいことがあるの』
差出人は、「未来からの自分」。メッセージは、昨年の、あの日の模試の前日を指し示していた。悠斗に気持ちを伝えられなかった、あの日のことを。戸惑いながらも、陽葵は決意した。あの日の自分に、メッセージを届けるために。未来からの自分は、静かに言った。「あの日の君は、きっと勇気を出せる。でも、大切なのは、その先の君自身だよ。あの日の後悔が、今の私を形作っているから」その声には、失われた時間への、微かな熱が宿っていた。
気がつくと、陽葵は、あの日の自分の部屋にいた。タイムマシンで、模試の前日の朝に戻ってきたのだ。でも、過去の自分に直接干渉することはできない。できるのは、未来からのメッセージを届けることだけ。部屋の片隅に置いたメッセージカードが、過去の陽葵に見つけられるのを待つ。窓の外からは、雨上がりの蒸し暑さと、セミの声が聞こえてくる。指先が微かに震える。心の中で、過去の自分に「大丈夫だよ」と語りかけた。やがて、過去の陽葵が、メッセージカードを手に取った。その温かさに、少しだけ顔を赤らめる。カードのインクの匂いが、かすかに漂った。
現代に戻った陽葵の部屋に、タイムマシンはもうなかった。代わりに、机の上には、あの日の模試の答案用紙が。「もう一度、あの時の君に会いたい」という、未来からの自分からのメッセージが添えられている。陽葵は、悠斗にメッセージを送った。「明日、模試だけど……もしよかったら、放課後、少しだけ話せる?」震える指先で、スマホを操作する。画面に映る悠斗の笑顔を思い浮かべながら、未来からの自分と、あの日の自分、そして今の自分の体温が、じんわりと重なるのを感じた。スマホが振動し、悠斗からの返信が届く。「うん、いいよ。楽しみにしてる」。その言葉に、陽葵の頬が熱くなった。胸の奥が、じんわりと温かくなる。それは、失われた時間への後悔でもなく、未来への希望でもない。今、この瞬間を生きる、確かなときめきだった。