紅葉色の甘い吐息

秋の放課後、放課後のチャイムが遠くで鳴り響いた。購買で買ったばかりの甘酒の、じんわりと温かい感触が手に伝わる。陽菜はそれを両手で包み込むようにしながら、窓の外に目をやった。夕暮れに染まり始めた空の下、校庭の木々が紅葉色に燃えている。鮮やかな赤、燃えるようなオレンジ、そして深みのある黄色。その彩りに、陽菜の心まで染まっていくようだった。

隣の席に、蓮が座っていた。幼馴染の彼は、いつものように教科書を広げ、静かにペンを走らせている。その腕が、ほんの少し、陽菜の肩に触れた。衣擦れの微かな音。そして、触れた部分から伝わる、ほんのわずかな空気の温もり。それだけで、陽菜の心臓は不意に大きく跳ね上がった。どくん、どくん、と鼓動が早まるのが自分でもわかる。触れられた箇所から、じわりと熱が広がるように、顔が赤くなっていくのを感じて、陽菜はそっと視線を逸らした。温かい甘酒の感触に、そっと指先を沈める。

「あのさ、陽菜」

蓮の声に、陽菜はびくりと肩を震わせた。彼が、教科書を閉じて、こちらを向いている。その瞳に映る自分の顔が、ひどく熱いのだろうと想像するだけで、さらに顔が赤くなった。

「週末、一緒に紅葉狩りに行かない?裏山の展望台、今すごく綺麗なんだ」

彼の言葉は、あまりにも予想外で、陽菜は息を呑んだまま、ただ立ち尽くした。嬉しい。行きたい。でも、声が出ない。蓮の顔に、わずかな不安の色が浮かんだのが見えた。「…嫌、かな?」少し寂しそうな、彼の声。その声に、陽菜は慌てて首を横に振った。今度は、はっきりと、大きな声で。「ううん!行く!行くよ!」

ほっとしたように微笑む蓮の顔を見て、陽菜は安堵のため息をついた。その時、彼の指先が、陽菜の手に触れそうになった。ほんの数ミリの距離。互いの指先が、触れ合う寸前で止まった。その空気に、言葉にならない、けれど確かな緊張感が走った。蓮の戸惑いが、まるで静電気のように、陽菜の指先にも伝わってくるようだった。その震えは、陽菜自身のものなのか、それとも蓮の指先の震えが伝わってきたのか、判別がつかなかった。

放課後、二人は裏山へと向かった。ひんやりとした秋の空気が、頬を撫でていく。途中、蓮は陽菜のために、 thermos の中に入っていた、少しだけ残っていた甘酒を分けてくれた。温かい液体が、冷たくなっていた陽菜の指先を、じんわりと温めていく。甘酒の、優しい甘さが口の中に広がる。それだけで、なんだか心が満たされていくような気がした。

やがて、二人は裏山の展望台に到着した。そこから見下ろす夕暮れの山々は、燃えるような紅葉に覆われていた。夕日が、空と山々を茜色に染め上げ、世界全体が甘く、切ない色に包まれている。空気が澄んで、遠くの山の稜線までくっきりと見えた。

「…綺麗だね」

蓮が、静かに呟いた。そして、ふと、隣に座る陽菜の肩に、そっと手を置いた。彼の指先から伝わる、温かさ。それは、甘酒の温かさとはまた違う、もっと深く、もっと優しい温もりだった。その温かさが、陽菜の全身を、まるで毛細血管の隅々まで駆け巡るように広がっていく。安心感と、抑えきれない胸の高鳴りが、同時に押し寄せてきた。顔が、また熱くなる。

陽菜は、意を決して、蓮の手に自分の手を重ねた。指先が触れ合った、その瞬間。互いの体温が、静かに、けれど確かに伝わり合った。言葉はいらない。ただ、その温もりだけが、二人を繋ぎ止めているかのようだった。蓮は、陽菜の頬が、今や本物の紅葉のように赤く染まっていることに気づいたのだろう。彼は、陽菜の目を見つめ、優しく微笑んだ。そして、彼の親指が、陽菜の震える指先を、そっと、ゆっくりと撫でた。その滑らかな感触は、蓮の変わらぬ優しさと、陽菜への静かな愛情を、雄弁に物語っているかのようだった。陽菜は、思わず息を呑んだ。

蓮は、陽菜の目を見つめたまま、ゆっくりと囁いた。「陽菜の手、あったかいね」

その言葉に、そして、彼の温かい手に、陽菜は胸の奥から込み上げる熱を感じた。夕日が、ゆっくりと地平線へと沈んでいく。空は、燃えるような茜色に染まっていた。二人はただ静かに、互いの温もりを感じ合っていた。次に会う約束を交わすかのように、二人の視線が絡み合う。これから始まる、甘く切ない恋の予感が、紅葉色の空に溶けていく。それは、まるで、二人だけのために用意された、最も美しい刹那だった。

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