御影のアルゴリズム

玻璃で囲繞された研究所は、槻司という名の理性のための水晶宮であった。無菌的な静寂が、彼の思考の純度を保証する。窓の外には、御影山が形而上の質量をもって君臨していた。山岳完全再現プロジェクト――それは、物質性のカオスたる山塊を、観測という名のメスで解剖し、記述という名の防腐処理を施し、データベースの霊廟へと永久に収蔵する企てに他ならない。槻にとって、その圧倒的な沈黙は征服すべき空白であり、未解読の聖典であった。彼の構築するアルゴリズムの光が、やがてはその原初の闇を穿ち、プロメテウスの火が如く、自然そのものを凌駕するであろうことを、彼は微塵も疑わなかった。

だが、世界の完全な写し身たるべき模型の製作が進むにつれ、その完璧な論理格子に異質な染みが滲み始めた。データ上に頻発する「生命的なエラー」。それは、統計的誤差という安易な避難所では覆い隠せぬ、存在論的な侵食であった。地形データに基づき模型に川筋を刻めば、現実の水脈が神託に応えるようにその流路を変え、現実の山頂にオリュンポスの神々が如く雲が纏われれば、密封された模型の谷間に不可解な露が降りる。プラトンのイデアと現実界のアナロジーは倒錯し、どちらが影でどちらが実体であるかの境界が融解を始める。槻の測量日誌から、次第に断定的な修辞が消え、記述は論理の骨格を失い、熱に浮かされた夢日記の如き様相を呈し始めた。

ある日、麓で邂逅した響子と名乗る女が、彼の内なる混沌を見透かしたかのように囁いた。 「あなたの模型は、神の不在を証明するための、空虚な祭壇。けれど、山は、自らを模した偶像に、自らの魂を吹き込むのです。ピグマリオンの祈りが、ガラテアに命を与えたように」 非科学的な妄言。ディオニュソス的な狂気の戯言。槻はそれを一蹴した。だが、その詩的な神託は、彼の無意識の井戸に投じられた石となり、波紋を広げ続ける。彼の模型製作は、いつしか客観的な測量行為から、神の視座を簒奪するための狂信的な儀式へと変質していた。彼はもはや世界の記述者ではなく、自らが創造主たらんとする、冒涜的な錬金術師であった。

転機は、禁足地とされた山頂の祠を、最後のピースとして模型に組み込んだ瞬間に訪れた。それは聖域への侵犯であり、宇宙論的特異点の創出であった。刹那、ガラスケースの中のミニチュアが、あたかも心臓のように自律的な脈動を開始する。呼応するように、現実の御影山が地底のリヴァイアサンが身じろぎでもするかのように巨大な山鳴りを上げ、その稜線から未知の光を放った。全ての観測機器は意味をなさぬノイズの奔流に沈黙する。 恐慌のなか、槻は模型を覗き込んだ。そして見たのだ。そのミニチュアの祠の前で、寸分違わぬ観測機器を操り、ガラスケースの向こう側――すなわち、この現実――を測量している、もう一人の自分自身の幻影を。彼は理解した。自らが創造したのは、山の写しなどではない。現実そのものを幽閉し、観測者と被観測者を無限に反転させる、シミュラクルの檻であったのだ。

今や、完成した模型は、閉じた生態系と化した。槻司は、もはや窓の外の実在を見ない。彼の視線は、ガラスケースの中の小宇宙に永遠に注がれる。彼はその世界の唯一の観測者であり、自らが鋳造した檻に囚われた神となった。時折、彼はガラスに額を押し付け、模型の中の自らの写し身に向かって、かつて響子が語ったような謎めいた言葉を呟く。 彼の現実は、その小宇宙の中で完結した。観測という理性の刃が、ウロボロスの蛇のように自らの尾を喰らい、閉じた円環を完成させたのだ。我々が今、彼を観測しているこの現実もまた、より高次のガラスケースの内側である可能性を、誰が否定できるだろうか。

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