無縁の区画
遺品整理は、往々にして、生者の責任を問う作業となる。佐伯徹は、父親の遺骨を一時預かってもらっていた葬儀屋から、その事実を告げられた。「お父さん、市役所から連絡が来ると、ずっと言っていましたよ」。その言葉は、父親の死後、混乱の中で進めていた佐伯の作業に、新たな重みを加えた。父親は、死の直前まで、墓地の永代使用権の申請に奔走していたのだ。しかし、その申請は、理由も曖昧なまま却下されていた。佐伯は、父親の部屋から見つかった役所宛ての分厚い封筒の束を、単なる事務書類として片付けようとしていた。その行為に、今、静かな疑問符が灯る。
佐伯は、市役所の戸籍課を訪れた。担当の佐藤課長は、終始、事務的な口調で対応した。「無縁墓地は市が管理しており、永代使用権の申請は認められません。そもそも、規定外の申請です」。佐伯は、父親が長年、この市役所に通い、担当者とも顔見知りだったはずだと反論したが、課長は「規則ですから」と繰り返すだけだった。窓口は何度か変わり、説明も担当者によって食い違った。その度に、佐伯の内に抱える疑問は、冷たい事務処理の壁に阻まれ、硬質な不信感へと変わっていく。
父親の遺品の中から、古い書類の束がさらに見つかった。その中に、「墓地使用に関する陳情書」の控えがあった。それは、佐伯が知らなかった、父親の切実な願いの記録だった。市営墓地の拡張工事の遅延により、自宅近くの「無縁墓地」とされていた区画に、やむを得ず仮埋葬せざるを得なかった経緯。そして、その区画の正式な使用許可を求める陳情。父親は、亡くなった妻、つまり佐伯の母親の遺骨も、その区画に共に埋葬しようとしていたのだ。しかし、その陳情は、受理されることなく、父親は「無縁」として扱われ続けていた。その事実を、佐伯は静かに読み解いた。
さらに資料を漁ると、父親が亡くなった時期、市役所の墓地管理担当部署が再編されたことを示す公文書が見つかった。長年、父親の陳情を受け止め、対応してきた職員は、異動あるいは退職していた。父親が必死に築き上げてきた「関係性」や「申請の経緯」は、組織の論理と人員交代という名の、無慈悲な断絶によって、「無」にされたのだ。それは、個人の声がいかに容易く、組織の歯車の中で摩耗していくかを示す、冷たい証拠だった。
佐伯は、父親の遺骨を抱え、市役所を後にした。空には、重たい灰色の雲が垂れ込め、雨が降り始めた。彼の前には、父親が仮埋葬を余儀なくされた、荒涼とした「無縁墓地」が広がっていた。市役所は「規則」という名の鉄壁で、個人の切実な願いを無に帰し、静かに、しかし確実に、無数の「無縁」を生み出していた。佐伯は、父親の遺骨を、その無縁墓地の片隅に、静かに置いた。それは、誰にも顧みられることのない、冷たい事実の告発だった。個人の悲劇は、組織の論理の前に、あっけなく「無」とされた。雨粒が、地面に染み込んでいく。