隣家の王女と聖夜の告白
聖夜の冷たい空気が、橘蓮の部屋に張り詰めていた。窓の外、隣に聳え立つ豪邸の灯りが、まるで別世界の輝きを放っている。あの光の中に、姫宮綾乃がいる。幼い頃から、この胸を焦がし続けている、手の届かない「姫」。彼女は、この街の頂点に君臨する名家の令嬢。だが、蓮の胸を灼くのは、ただの純粋な憧れだけではなかった。触れることすら許されない彼女への、形容しがたい劣情。そして、そんな己の醜さを嘲笑う、激しい嫉妬の炎が、黒く、黒く、燃え盛っていた。「なぜ俺は…なぜ、あの光景をただ見ているだけなのだ…!」静寂を裂く、魂の奥底からの慟哭が、今、静かに響いた。
華やかな笑い声が、クリスマスの夜を彩る。綾乃が、婚約者である桐島悠と共に、自邸の庭でパーティーを開いているのが見える。きらびやかな装飾、グラスの触れ合う音、そして、卑しいほどに楽しげな人々の声。だが、蓮の視線は、その喧騒の中の綾乃一人を捉えていた。彼女の笑顔は、どこか虚ろだった。そして、その瞳が、時折、蓮の家の方へ、まるで探るように向けられていることに、蓮は気づいてしまった。胸が高鳴る。それは、幼馴染への単なる気遣いなどではない。蓮の存在が、彼女の心を激しく掻き乱しているのだ。悠への反発、自分自身への苛立ち、そして、蓮への微かな、しかし抗いがたい感情。綾乃の心は、今、嵐の中にあった。
パーティーの賑わいが遠のき、人影がまばらになった頃、綾乃の姿がふと消えた。蓮は、いてもたってもいられなかった。衝動に突き動かされるように、彼は綾乃の家の庭へと忍び込んだ。月明かりの下、人目を避けるように佇む綾乃の姿。その背中に、蓮は吸い寄せられるように近づいた。喉が張り付く。長年、この胸に封じ込めていた、もはや執着とも言えるほどの激しい想いが、爆発寸前だった。「綾乃!俺は、ずっとお前を…!」言葉は、ただの憧れではなかった。それは、綾乃という存在に囚われ、狂いそうになる男の、剥き出しの渇望だった。綾乃は、蓮の言葉に驚き、顔を上げた。その瞳には、悠への反発と、蓮への微かな期待が入り混じり、激しく揺れ動いていた。「蓮…!」その声は、彼女の内面に渦巻く、制御不能な感情の奔流を物語っていた。
蓮が、魂の叫びを綾乃にぶつけようとした、その瞬間。背後から、冷たい声が響いた。「邪魔だ。消えろ」桐島悠だ。彼は、蓮が綾乃に近づくことを、断じて許そうとしなかった。その言葉は、蓮の尊厳を足元に踏みにじった。綾乃への愛情、彼女を悠に奪われることへの激しい嫉妬、そして、己の無力さへの絶望。それら全てが、一瞬にして蓮の胸に叩きつけられた。「くそっ…!」蓮は、悠の傲慢さに、全身の血が沸騰するのを感じた。綾乃は、二人の間で激しく揺れ動いていた。悠の、支配的な態度に反発し、蓮に掴みかかるように訴えた。「私を見て!」その声は、叫びだった。そして、その瞬間、蓮の内に秘められた嫉妬と愛情、そして悠への憎悪が、臨界点を超え、爆発した。「お前には渡さない!綾乃は俺のものだ!」その叫びは、魂の慟哭だった。
蓮の「俺のものだ!」という叫びが、聖夜の冷たい空気を震わせた。顔は苦痛に歪み、声帯が震える。それは、もはや理性では制御できない、魂の叫びだった。綾乃もまた、蓮の叫びに呼応するかのように、悠を突き放した。その細い腕に、悠への全ての憎悪を込めたかのようだった。そして、蓮に掴みかかる。「蓮!」その顔は、涙と怒りで歪み、悠への燃え盛る憎悪を露わにしていた。悠は、その光景を冷ややかに見つめ、嘲るように呟いた。「愚か者どもめ」三人の感情が、臨界点を超え、激しくぶつかり合う。嫉妬、愛情、憎悪。剥き出しの感情の奔流が、聖夜の庭で、嵐のように吹き荒れた。その瞬間、物語は、唐突に、幕を閉じた。