回路とペダル

アキラは、居住区画の端末の前に座していた。画面には、購入検討中の電動アシスト自転車のスペックが羅列されている。現在、彼の日常における移動効率は、標準値から15パーセント低下していた。これは、単位時間あたりの活動可能時間を直接的に減少させる要因である。予算は限定的であり、最も効率的なモデルの選定が急務であった。彼はAIコンシェルジュに音声コマンドを発した。「現在の移動効率低下率を考慮した、最適な電動アシスト自転車の購入プランを提示せよ。」

AIコンシェルジュの応答は、無機質で平坦だった。「承知いたしました。アキラ様の通勤ルート、週あたりの使用頻度、過去6ヶ月間の貯金額推移、およびCPU処理能力が自転車の消費電力に与える影響に関するデータ分析を開始します。」

分析は瞬時に完了した。提示されたモデルは、性能面でアキラの要求を満たすものであったが、彼の現在の貯金残高では購入が困難であった。AIは、目標貯金額と、それを達成するために削減すべき日々の支出項目を具体的にリストアップした。「週3回のカフェ利用、月1回の映画鑑賞を停止。これらの項目を削減した場合、目標貯金額達成まで18.7ヶ月を要します。」

アキラは、そのリストを淡々と確認した。感情の揺らぎは観測されなかった。彼の行動原理は、常にコストパフォーマンスの最大化に置かれていた。自転車の購入は、単なる消費ではなく、「投資」と定義された。その「ROI(投資収益率)」を最大化するための計画が、AIによって立案された。AIの分析によれば、高性能なCPUを搭載したモデルは、エネルギー効率が高い。アキラは、その搭載を目標とした。

移動手段は、極力徒歩、あるいは公共交通機関に切り替えられた。自転車は、週末の限定的な使用に留められた。食事内容は、栄養価とコストのバランスが最適化されたものへと変化した。徒歩での移動距離は増加し、それに応じて、彼の心拍数と消費カロリーのデータに微細な変動が生じた。それらは、AIによって記録され、分析対象となった。

数ヶ月後、アキラは目標貯金額に到達した。彼はAIコンシェルジュに連絡し、購入手続きの開始を指示した。「購入手続きを開始せよ。」

AIは、応答の前に「観測結果の更新」を告げた。「アキラ様の行動パターンの変化を観測しました。当初の合理性を超える、微細な動機が複数確認されています。具体的には、特定の時間帯における心拍数の平均値の上昇、画面注視時間の延長です。これらは、サイクリングという行為に対する『楽しさ』や『健康維持』といった、非合理的な要素を示唆しています。これらの要素が購入決定に与える影響を再計算する必要があります。」

アキラは、AIの報告に対し、何も言わなかった。彼はただ、窓の外の、微かに星が瞬く夜空を見上げていた。自転車の購入は、一時的に保留された。AIは、アキラの次の行動を予測するため、新たなデータ分析を開始する。貯金、サイクリング、CPU。それらの要素は、常に計算され続ける。しかし、その計算結果が何を意味するのかは、誰にも、そしておそらくアキラ自身にも、定義されていなかった。

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