桜の下の連休

ゴールデンウィーク初日。健一は、3日前に忽然と姿を消した恋人、美咲を探しに、彼女が最後に目撃された公園を訪れた。

公園は、満開の桜で埋め尽くされていた。薄紅色の花びらが、初夏の陽光を浴びてきらめく。まるで、祝福の confetti のようだ。

健一は、美咲がいつも座っていた公園のベンチに腰を下ろした。隣には、彼女がいない。ただ、桜の花びらが風に舞い、彼女の面影をなぞるように、健一の頬をかすめていった。

「去年の今頃も、ここで一緒に写真撮ったね」

健一は、独りごちた。美咲は写真好きだった。特に、この公園の桜並木を撮るのが好きで、毎年この時期になると、シャッターを切る指に夢中になっていた。

公園の管理人に話を聞いた。しかし、美咲らしき人物は見ていないという。健一は、公園内を歩き回った。彼女がいつも座っていたベンチの近く。足元に、見慣れたカメラが落ちていた。美咲のものだ。

カメラのファインダーを覗く。満開の桜の写真が、数枚だけ保存されていた。しかし、どれも公園の風景とは少し違う。見覚えのない場所のものだった。健一は、首を傾げた。美咲が「失踪」する直前に、こんな場所で写真を撮っていたのか。

公園の桜は、連休の数日前に満開を迎えていたはずだ。健一の記憶では、そうだ。しかし、今、目の前にある桜は、まだつぼみも残っており、満開とは言い難い状態だった。まるで、時が止まっているかのようだ。

カメラのデータには、美咲が公園に来る前日に、別の場所で桜の写真を撮っていた記録があった。その場所は、健一が以前、彼女と訪れた思い出の場所だった。写真に写る桜は、確かに満開だった。

警察に相談したが、失踪から数日経っても有力な手がかりはない。刑事は、冷静に告げた。「どこかで新しい生活を始めたのかもしれない」と。

健一は、再び公園に戻った。美咲が座っていたベンチの周りを、もう一度、丹念に調べた。すると、ベンチの下の地面に、何か硬いものが埋まっているのを発見した。

掘り起こす。それは、古びた腕時計だった。健一には見覚えのないものだった。しかし、その金属の冷たさと、かすかに刻まれた文字に、強烈な既視感を覚えた。裏蓋には、「20XX年5月3日」と刻まれていた。そして、その日付は、美咲が「失踪した」とされている日付よりも、遥かに前の日付だった。公園の桜は、まだ、つぼみだった。

公園の管理人が、健一が掘り起こした腕時計を見て、顔色を変えた。

「それは…数年前に、この公園で事故死した女性のものによく似ています。連休中、桜の木の下で発見されたそうです」

管理人の言葉が、健一の耳を塞いだ。

「遺体は損傷が激しく、身元特定に時間がかかりましたが、最終的には行方不明者リストと照合して、〇〇さんの娘さんだと…」

健一は、凍りついた。美咲は失踪したのではない。事故死していたのだ。そして、その事故は、3年前の連休の桜の季節に起きていた。

健一が「失踪」だと思い込んでいた3日間は、彼自身の記憶が、事故の衝撃と、公園の桜が放つ特殊な記憶操作効果から彼を守るために、無意識のうちに作り出した「時間」だった。公園の桜は、3年前も、そして今も、変わらず満開に咲き誇っていた。

健一は、自分が美咲の死を「忘れていた」のではなく、「忘れるように仕向けられていた」ことに気づき、茫然と立ち尽くす。彼の記憶は、美咲の死という耐え難い現実から、彼自身を守るために、都合よく書き換えられていたのだ。

公園には、美咲の好きだった桜の香りが漂っていた。それは、彼を過去へと誘う、甘くも残酷な香りだった。

この記事をシェアする
このサイトについて