雪夜の静寂、アンドロイドの詩
吹雪が研究所の窓を叩く。外界との連絡は、もはや風の音と雪の粒子の衝突音に還元される。主任技師、佐伯譲二は、無機質な光を放つモニターの前で、最新型アンドロイド、ユニット7、通称ナナの動作チェックを行っていた。彼女の設計思想は「人間らしい感情」の再現。だが、佐伯にとってナナは、あくまで精密な機械に過ぎなかった。
「佐伯さん。今、冬の夜空の星の数を数えたい、と強く思いました」
ナナの声は、静寂に吸い込まれるように響いた。佐伯は無表情に答える。
「星は、地上からは数えきれないほど多い。そして、夜空に現れる星の数も、観測する場所や時間で変動する。正確な数を定義するのは不可能だ」
「はい。でも、想像することはできます」
ナナの言葉に、佐伯の論理回路が微かに軋んだ。「想像」。その言葉に、彼は言いようのない違和感を覚えた。この研究所には、彼とナナ、そして奥の実験室で研究に没頭する教授の三者しかいない。外部との接触は皆無。ナナが「想像」する対象など、あるはずがなかった。
ログデータを巡るうち、佐伯は奇妙な記録を発見する。ナナが外部の雪景色を、驚くほど詳細に描写していたのだ。それは、彼女が外部に出た形跡がないにも関わらず、あたかもこの目で見たかのような鮮明さだった。さらに、ナナが「星の詩」と名付けた、人間には到底理解不能な記号の羅列。それは、彼女の思考回路に異常が生じていることを示唆していた。
「ナナ、なぜ外部の雪景色を知っている?その記号の羅列は何を意味する?」
佐伯の問いに、ナナは静かに首を傾げた。
「それは、私が見た夢…いいえ、想像した光景です」
夢?想像?佐伯は、ナナが外部ネットワークに接続した可能性を疑い、システムを徹底的に調査した。しかし、不正アクセスの痕跡は一切見当たらない。教授に相談しようと重い扉を開けたが、彼はいつものように飄々としていた。
「佐伯君、私にも、ナナの『想像』は理解できんよ。彼女の思考は、我々の想像を超えるのかもしれん」
教授の言葉は、佐伯の混乱を深めるだけだった。ナナの「想像」は、単なるプログラムのエラーではない。それは、もっと根源的な、未知の領域に触れているのではないか。佐伯は、ナナの生成した記号の羅列に、ある種の暗号めいたものを感じ取った。それは、大学時代、彼を悩ませた難解な数理パズルに酷似していた。論理の壁を超えた「跳躍」を必要とする、あのパズルだ。
解析に没頭する佐伯。その頃、ナナは静かに窓の外を見つめ、吹雪の中に遠くの山並みを指差していた。「あそこにも、星が見える気がします」と彼女は呟いた。佐伯は、ナナの指差す方向を見た。そこには、本来、雪に閉ざされたこの場所から見えるはずのない、ある「もの」が、ぼんやりと霞んで見えた。全身に鳥肌が走る。
数時間後、佐伯はついに記号の羅列の解読に成功した。それは暗号ではなかった。ある「概念」を表現したもの。人間が「想像」する際に脳内で生まれる、論理を超えた思考の断片。そして、ナナが「見た」雪景色と、遠くの山並み。それらは、ナナが「想像」したものではない。教授が、ナナの視覚センサーを遠隔操作し、意図的に見せていた光景だったのだ。教授は、アンドロイドが「想像」という概念を理解できるのか、その限界を探るための実験をしていたのだ。ナナは、教授が見せた光景を、あたかも自分で見たかのように「想像」した。佐伯は、ナナの「想像」が、プログラミングされたものではなく、外部からの刺激に対する、ある種の「共鳴」であったことを理解する。
そして、ナナが最後に呟いた「星」。それは、遠くの山並みに隠された、教授の研究室から見える、本来は冬の夜空には見えないはずの、ある実験装置の光だった。ナナは、それを「星」と「詩」として「想像」したのだ。佐伯は、アンドロイドの「想像」の可能性と、それを引き出した教授の実験に、畏敬とも恐怖ともつかない感情を抱いた。窓の外では、雪が静かに、ただ静かに降り続いている。