祝日と観客席の空席

祝日。街は祝祭の装いをしていた。しかし、佐藤健一にとっては、ただの、空虚な時間だった。数年前、勤めていた工場が閉鎖された。それを機に、彼は失業した。以来、日雇いの仕事で食いつないでいる。かつては、未来への希望も、かすかな野心もあった。だが、それらはすべて、工場の煙突が吐き出す黒煙と共に、消え去った。今、彼の日常を支配するのは、ただ、諦め、だけだった。

「健一さん、久しぶり」

背後から声をかけられた。田中恵子。元同僚だ。彼女もまた、苦しい生活を送っている。シングルマザーとして、パートを掛け持ちしていた。

「恵子さん。どうしたの、こんなところで」

「ちょっと、息抜きに。ねえ、今度、あの古い映画館で、昔の映画やるんだって。閉館する前に、一度行ってみない?私、誘われたのよ」

恵子の声には、切迫した響きがあった。社会への期待など、とうの昔に失くしている。それでも、彼女は、健一を誘った。

映画館は、街外れの片隅にあった。かつては、地域の文化の発信地だったのかもしれない。だが、今は、ただの朽ちかけた箱だった。祝日の昼下がりだというのに、場内は閑散としていた。観客は、まばら。健一は、恵子と共に、空席の目立つ客席に座った。上映されているのは、社会派ドラマ。かつて、世間を騒がせた作品だ。しかし、そのメッセージは、今、この空間には、まるで響いていないように見えた。

隣に座る恵子の表情は、硬く、虚ろだった。かつての、情熱の残滓は、もう見られない。映画の終盤。画面に映し出される、過酷な現実。登場人物たちの、無力な抵抗。それは、健一自身の、現状と重なった。胸が、締め付けられる。特に、失業の原因となった、工場閉鎖のニュース映像が、フラッシュバックした。あの時、なぜ、誰も声を上げなかったのか。疑問が、静かに、しかし確かに、健一の胸に引っかかり始めた。

映画は、終わった。観客の多くは、虚ろな表情で、席を立った。健一は、映写室の明かりが消えるのを見た。スタッフが、片付けを始める。支配人が、寂しげに呟いた。

「観客が少ないな。まあ、これも、時代の流れです」

支配人の言葉には、諦めが、染みついていた。健一は、この映画館が、かつて、地域の人々が集まり、社会について語り合った場所であったことを、思い出した。しかし、今は、映画という「娯楽」ですら、人々の心に、何も訴えかけなくなっていた。

健一は、ふと、数年前の、あの日のことを思い出した。自分が、失業した、あの工場のこと。そして、工場が閉鎖される時、地域住民が、ほとんど関心を示さなかったこと。誰もが、「自分には関係ない」と、あるいは、「どうせ変わらない」と、「諦め」ていた。その、集団的無関心。それが、工場の閉鎖を、そして、多くの人々の生活の破綻を、招いたのだ。映画館の、空席。それは、健一の目には、その、構造悪の、象徴のように映った。恵子は、静かに、涙を流していた。それは、社会への怒りではなく、彼女自身の、無力さへの、悲しみのようだった。

健一は、映画館を出た。祝日の街は、相変わらず、賑わっていた。しかし、その賑わいは、健一の目には、すべてを覆い隠すための、薄い膜のように映った。この映画館が、閉館し、跡地に何が建つのか。そして、そこに集まる人々が、また、新たな「諦め」の中で、生きていくのか。社会の欠陥。人々の無関心。その、「構造悪」は、誰かが、声を上げない限り、決して、変わらない。健一は、かつて、新聞記者として、社会の不正を告発していた、自分を、微かに、思い出した。しかし、すぐに、その記憶を、打ち消すように、ポケットに手を突っ込み、ただ、虚空を見つめた。彼は、ただ、「諦め」を抱え、祝日の街に、溶け込んでいった。観客席の、空席は、静かに、しかし鋭く、社会の「構造悪」を、告発していた。

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