青い果実の門
夏は、ただ静かに溶けていく。ユキは、決まることのない進学先を、部屋の隅に置かれたままの段ボール箱のように、漠然と見つめていた。窓の外、無機質なビル群の隙間を縫うように、青い光を放つ奇妙な果実が浮かんでいる。都市の景観を彩る「感情誘導装置」とやらだ。人々の孤独を、あの冷たい光で、薄めてくれるらしい。光は、ユキの肌を撫でるように部屋に差し込む。だが、その冷たさは、ユキの虚無感を、一層深く、濃くしていく。グラスに残った、どこか虚しい冷たいスムージーの残滓を、ユキは静かに啜った。味はする。だが、それだけだ。
進学説明会の案内が、不意に届いた。分厚い封筒。それは、ユキが足を踏み入れるべき「門」の、予告のように見えた。だが、ユキの心は、その門をくぐることを、強く拒絶していた。友人の影は、もう、それぞれの道へと伸びている。ユキだけが、この淀んだ空気の中に、取り残されているような感覚。窓の外の青い果実が、心なしか、揺れているように見えた。あの光は、ユキの孤独を映し出す、巨大な鏡だ。無数のビル群の冷たい壁に反射し、ユキの心を、じわり、じわりと締め付けていく。
ある日、ユキは、埃を被った古い段ボール箱の奥で、母親のスケッチブックを見つけた。彼女が、仕事で疲れた顔の合間に、静かに描いていたものだろうか。そこには、ユキが生まれる前の、緑豊かで、穏やかな風景が描かれていた。木々の葉擦れの音、湿った土の匂い、そして、澄み切った空の、どこまでも続くような青。対照的に、一枚だけ、星空の下で、静かに咲く、青い光を放つ果実のようなものが描かれている絵があった。それは、感情誘導装置などではない。「希望の果実」と、かすかに記されていた。母は、この植物の絵を描きながら、ユキの未来を、静かに願っていたのだ。スケッチブックに描かれた希望の果実の淡い光は、現在の無機質なビル群の青い光とは異なり、温かみと、揺るぎない生命力を感じさせた。
進学説明会の日。ユキは、家を出た。しかし、大学のキャンパスではなく、かつて「希望の果実」が咲いていたという、都市の片隅にある古い公園へと向かった。公園は、荒れ果てていた。かつての面影は、もう、どこにもなかった。それでも、ユキは、空を見上げた。ビル群の隙間から見える青い光は、もはや感情誘導装置の光ではない。それは、遠い、遠い星の光のように感じられた。母が願った、そして、ユキ自身も、無意識のうちに求めていた、静かな、静かな希望の光。その光は、ユキの頬に、優しく触れた。冷たいアスファルトの匂いの中に、微かな、土の香りが混じる。
ユキは、進学という「門」を、まだくぐらない。だが、その足取りは、以前よりも、確かなものになっていた。窓の外の青い光は、もはや、孤独を映し出す鏡ではない。それは、広大な宇宙の一部として、静かに、静かに輝いている。ユキは、冷たいスムージーではなく、温かいお茶を淹れた。湯気の向こうに、遠い星の光が、揺らめくように見える。その味は、かつてよりも確かに、世界と繋がっていることを、ユキに感じさせた。公園の片隅に、小さな青い種のようなものが、静かに落ちていた。その種から、かすかに、土の匂いが立ち上る。