硝子の鳥の歌
細い糸が、硝子の破片を優しく包み込んでいく。アヤの指先は、まるで祈りを捧げるかのように、静かに、しかし迷いなく動いていた。編みあがったばかりの小さな鳥の羽根は、窓から差し込む淡い光を浴びて、透明な輝きを放つ。それは、亡き兄イサオが教えてくれた手芸だった。彼がまだ生きていた頃、この部屋はもっと明るく、笑い声に満ちていた。窓の外には、今とは違う、青い空が広がっていたのだ。
しかし、今は違う。終戦間近という響きだけが、遠い国から運ばれてくる。灰色の空からは、絶えず砲声が大地を揺るがす。日常という言葉は、遠い記憶の彼方へと追いやられていた。アヤの内職は、そんな荒廃した世界にあって、ただひたすらに、失われた過去の温もりと繋がる、唯一の細い糸だった。
その日、編みあがったばかりの硝子の鳥が、ふと、いつもとは違う光を放った。それは、ガラスの破片が陽光を反射しただけではない、もっと内側から滲み出るような、柔らかな光だった。アヤは手を止め、その不思議な鳥をじっと見つめた。戸惑いと、微かな希望が、彼女の胸の奥で静かに芽生える。それは、ただのガラスの鳥ではなかった。もしかしたら、この灰色の世界に差し込む、希望の灯火なのかもしれない。
アヤは、その日以来、さらに多くの硝子の鳥を編み始めた。失われた日々の断片を繋ぎ合わせるように、一本一本、丁寧に。鳥たちは次第に複雑な模様を描き出し、部屋の片隅に、小さな光の庭を作り上げていく。窓の外からは、相変わらず戦争の激しい音が響き、大地を震わせている。しかし、この部屋だけは、まるで別世界のように、静謐な幸福感に包まれていた。編み終えた鳥たちに、アヤはそっと話しかける。それは、もういない兄、イサオへの語りかけでもあった。「見て、イサオ。こんなに綺麗になったよ」。声は、いつものように静かで、どこか虚ろな響きを帯びていた。
ある日、けたたましい空襲警報が、街全体を震え上がらせた。アヤは、編みかけの鳥たちと、部屋に飾られた完成品を、両手で抱きしめた。だが、すべてを持ち出すことはできない。光を放つ硝子の鳥たちが、アヤの熱い涙で滲んで見える。泣く間もなく、彼女は、部屋に残してきた光の庭に別れを告げ、外へと駆け出した。
避難所から戻ってきたとき、アヤの住んでいたアパートは、瓦礫の山と化していた。鉄骨は歪み、壁は崩れ落ち、かつて窓があった場所は、ただ虚しく空を覗いていた。しかし、その瓦礫の中から、あの硝子の鳥たちが、静かに横たわっているのが見えた。ガラスの破片は、爆撃の熱にも、瓦礫の重みにも耐え、かすかに、しかし確かに光を宿していた。アヤは、その光景をただ、静かに見つめる。遠くで、また、砲声が響く。それは、遠い過去の響きでもあり、そして、これからやってくる未来の響きでもあった。彼女の喜びも、悲しみも、すべてが硝子の鳥たちの静かな光の中に溶けていく。それは救いでも絶望でもなく、ただ世界が、戦争の傷跡と失われた日常の記憶と共に、静かに、圧倒的な事実として存在し続けるという、ただそれだけのことだった。光と影のコントラストが美しい、一枚の風景画のような、静かで美しい虚無感が、アヤの心に、そして読者の心に、静かに広がっていく。