宇宙服の毛糸玉

定年退職した田中一郎、65歳。人生の夢は宇宙飛行士。貯金に励む日々。「宇宙への切符代、本日も稼ぎました!」と、フリマアプリの出品名。セーターを編みまくり、売って、また編む。妻の花子、62歳。ため息混じりのツッコミ。「一郎さん、いつになったら宇宙に行くんですか? その毛糸、一体いくつ編む気?」

一郎の部屋は、毛糸玉のジャングル。編みかけのマフラー、セーター、さらに奇妙な銀色の毛糸玉が転がっている。花子、眉をひそめる。「これ、何? 今まで見たことない毛糸ね」

一郎、真顔で答える。「これはな、特別なんだ。NASAの展示会で偶然手に入れた。宇宙服の保温材に使う、最新素材だ」

「展示会? そんなもの、どこで?」花子の疑いの目は、一郎を射抜く。 「企業秘密だよ。君にはまだ早い」一郎は、得意げに胸を張る。

一郎の計画は壮大だ。貯金が目標額に達したら、宇宙服を買う。そのために、編み物で稼いだお金は、さらに貯金へ。食費は、もはや「宇宙食」と化していた。花子は、夫の熱意に、本気で宇宙に行ってしまうのではないかと心配になる。

ある日、一郎が興奮して帰ってきた。「花子!ついに、宇宙服のパーツが揃ったぞ!」抱えているのは、銀色の毛糸玉の塊。ネットオークションで「未使用・宇宙服素材・保温性抜群」という謳い文句で落札したらしい。

一郎は、その銀色の毛糸玉を、まるで月面着陸船のように丁寧に扱い、編み機にセットした。一生懸命、銀色の毛糸を編んでいく。完成したのは、ヘルメット部分が編みかけの帽子、手袋部分が指なしミトンになった、銀色の毛糸で編まれた奇妙な形状のポンチョ。一郎はそれを着て、アパートのベランダへ飛び出した。

「よし!これでいつでも宇宙に行ける! 地球は青かった…いや、まだ青いな!」

花子は、もはや何も言えなかった。夫のあまりの熱中ぶりに、諦めにも似た感情が湧く。 「もう、いいわよ。せっかく作ったんだもの、着てみてちょうだい」花子は、ため息をつきながら言った。「…で、宇宙服代、いくら貯まったの?」

一郎は、嬉しそうに銀色のポンチョを羽織り、ベランダで腕を広げる。その時、花子の視線が、一郎の貯金箱の横に置かれた、ある商品の空き箱に釘付けになった。

「最新型・保温・断熱・宇宙服素材使用・高級毛糸」

一郎が「企業秘密」と言っていた銀色の毛糸玉の正体。それは、一郎が宇宙服を買うために貯金していたのではなく、その毛糸で編んだものを売って、さらに貯金を増やそうとしていたのだった。

「…あれ?俺、貯金、いくらあったっけ?」

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