消えゆく祭壇の年金

寂れた商店街の、錆びついた看板が風に揺れる。かつては子供たちの声や、威勢の良い掛け声で満ちていたこの場所も、今は風の音だけが虚しく響くだけだ。佐和子の店も、もうずいぶんと前にシャッターを下ろした。夫が遺した年金だけが、彼女の頼みの綱。その日も、佐和子は重い足取りで、商店街の片隅にひっそりと佇む古びた教会へと向かっていた。煉瓦造りの壁は煤け、窓ガラスは曇っていて、中がどうなっているのかさえ、ほとんど分からない。

教会の扉を開けると、ひんやりとした空気が肌を撫でた。祭壇の横に立つ黒いローブの男、教会の管理人。その顔はいつも深い影に覆われ、表情を窺い知ることはできない。佐和子は、管理人に通された席に静かに腰を下ろした。管理人は、佐和子の手元にある年金手帳を無言で見つめ、やがて、かすれた声で言った。「今月も、お納めください。皆様の『善意』は、この街の『調和』を保つために、なくてはならないものです。」

佐和子は、その言葉の意味を深くは理解できなかった。ただ、言われるがままに、年金の一部を管理人に手渡す。管理人は、それを丁重に受け取ると、佐和子に向き直り、静かに祈りを捧げ始めた。その祈りの言葉は、佐和子の耳には遠く、ぼんやりとした響きとしてしか届かない。なぜ、こんな奇妙な儀式を続けているのか。自分は一体、何を祈ってもらっているのか。疑問は尽きなかったが、不思議と、管理人の言葉に逆らおうという気にはなれなかった。

その月、管理人の声は、いつもよりも一段と冷たく響いた。「今月は、皆様の『善意』が、少々足りておりません。この街の『調和』を保つためには、もう少し『供物』が必要なのです。」佐和子は、息を呑んだ。年金は、もう、ほとんど残っていなかった。管理人は、佐和子の顔色など窺う様子もなく、ただ、佐和子の年金手帳に目を走らせた。そして、次の月からは、「徴収額」が増えることを、淡々と告げた。佐和子の生活は、さらに一層、苦しくなる。しかし、管理人の言葉には、逆らうことができなかった。

後日、佐和子は、商店街で偶然、隣に住む老婦人と顔を合わせた。彼女もまた、佐和子と同じように、教会の管理人から、同様の言葉を告げられたという。商店街の他の老人たちも、皆、似たような経験をしていた。皆、静かに、そして淡々と、年金の一部を教会に納めていた。その「お布施」が、何のために使われているのか、誰も知らなかった。

ある夕暮れ時、佐和子は、教会から帰る道すがら、ふと、教会の窓に目をやった。閉ざされたはずの窓から、微かな光が漏れていた。吸い寄せられるように、佐和子は教会の壁に近づき、窓に顔を寄せた。そこには、信じられない光景が広がっていた。無数の人々が、佐和子と同じように、教会に「お布施」を捧げている。彼らの顔は、皆、虚ろで、まるで操り人形のようだった。佐和子は、この教会が、この寂れた商店街の老人たちの年金を、まるで「祭壇」に捧げる「供物」のように吸い上げ、この「祭壇」を維持しているのだということに、ようやく気づいた。しかし、その「お布施」が、一体何に使われているのかは、やはり、一切不明のままだった。

このままではいけない。佐和子は、他の老人たちに、この不条理を訴えようと決意した。しかし、彼女が口を開こうとするたびに、耳元で、微かな、囁き声が聞こえる。「あなたは、この『信仰』を支える大切な『器』なのです。」足元からは、冷たい何かが這い上がってくるような感覚に襲われた。まるで、教会から、見えない力が働いているかのようだった。老人たちは、佐和子の訴えに耳を貸そうともせず、ただ虚ろな目で、教会へと吸い込まれていく。佐和子は、自分だけが、この「呪縛」から逃れられないのかと、絶望した。

やがて、佐和子は、抗うことを諦めた。彼女は、再び、教会へと向かった。管理人は、佐和子の差し出す年金の一部を、無言で受け取った。いつものように、静かに祈りが捧げられる。ステンドグラスから差し込む光は、もはや温かさを感じさせなかった。佐和子は、自分の年金が、この寂れた商店街の、そして教会という名の「祭壇」の維持に、静かに吸い上げられていくのを感じながら、ただ虚ろに祈りを捧げる人々の中に、溶け込んでいった。

教会の帰路、佐和子は、ふと、自分の指先が妙に冷たいことに気づいた。しかし、それを気にかけることもなく、自宅の壁に、見覚えのない、茶色いシミが一つ増えているのを見ても、ただ虚ろに微笑むだけだった。商店街は、静かに、しかし確実に、その輪郭を失っていく。佐和子の日常は、これからも、この見えない力によって、静かに蝕まれ続けるだろう。部屋の片隅の暗がりに、何かの視線を感じるような、そんな感覚を抱きながら。

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