老王の最後の判決

王国は、かつて栄華を誇った。今は、その面影もない。壁には幾筋もの亀裂が走り、かつては王国の威信を象徴した尖塔は、折れた指のように空を突いていた。病床のエルド王は、その衰弱した姿で、王国の沈滞を映し出しているかのようだった。長年、王に仕え、その身の回りの世話をしていたのは、リナという名の女だった。彼女の献身は、王の衰弱が進むにつれて、より一層深まっていった。王は、時折、記憶の迷宮に迷い込む。しかし、リナの手だけは、いつも律儀に求めた。

宰相カイルは、王の寝室の扉の前で立ち止まった。かすれる王の声と、リナの穏やかな応答が漏れ聞こえる。王国は、風前の灯火だった。財政は破綻寸前、後継者問題は混迷を極める。カイルの肩に、王国の重みがのしかかっていた。

ある日、カイルは王の寝室で、リナが王に何かを囁いているのを目撃した。それは、王国を救うために下された、かつての王の「判決」に関する言葉だった。犠牲を伴う、非情な決断。王は、すでにその記憶さえ曖昧なはずだ。カイルは、リナの言葉に、かすかな疑念の影を見た。

「王様は、時折、昔のことを思い出されるのです」

リナは、穏やかに微笑んだ。その瞳には、疲れの色は微塵もなかった。だが、カイルの胸に去来した疑念は、晴れることはなかった。衰弱しきった老王が、王国を揺るがすほどの重大な記憶を、保持しているというのか。

王の容態は、日ごとに悪化していった。ほとんど言葉を発することもできず、ただ、リナの手を握りしめるだけだった。カイルは、王がリナに何かを託そうとしているのではないか、あるいは、リナが王を利用しているのではないか、と疑い始めた。王の健康状態を理由に、早期の王位継承をカイルが主張すると、リナは静かに反論した。

「王様は、まだ、最後の判決を下さねばならないのです」

最後の判決。カイルは、その言葉に、王国の未来、あるいは、王自身の過去が、複雑に絡み合っているような予感を覚えた。

王の死期が迫っていた。カイルは、リナの言葉に、王の意思に反する企みを感じ取っていた。秘密の書斎。王が、かつて王国を統治していた頃の、厳格な面影を残す部屋。カイルは、そこで、古文書を発見した。それは、王が下した、王国を救うための「重大な判決」の記録だった。その内容は、あまりに非情で、カイルは慄然とした。王国を救うために、王は、自らの手で、ある「犠牲」を選んだのだ。

王は、静かに息を引き取った。カイルは、リナの前に立った。その表情は、かつてないほど硬かった。

「リナ。王様は、何を託したのだ?」

リナは、静かに語り始めた。王が衰弱する前、王国は、絶望的な危機に瀕していた。外敵の侵略、飢餓、そして、内乱の兆し。王は、そのすべてを乗り越えるために、ある「判決」を下したのだという。カイルが書斎で見つけた古文書。それは、その「判決」の証拠だった。

しかし、その「判決」の対象は、王国ではなかった。

「王様は、ご自身の罪を償うために、長年にわたり、その身を『介護』という名の『刑』に服しておられたのです」

リナの言葉は、静かだったが、カイルの心を激しく揺さぶった。王は、自らの罪を償うために、自らを罰していたのだ。そして、リナは、その「刑」の執行者。王の最後の「介護者」。

「王様の最後の判決は、ご自身の『生』そのものだったのです」

カイルは、リナの言葉に、息を呑んだ。彼女が、長年王を「介護」し続けた真の理由。それは、復讐ではなかった。王の最後の「罪」を、静かに、しかし、確実に支え続けた、献身的な執行官。その瞳の奥に、カイルは、王への複雑な感情の揺らめきを見た。それは、憎しみでも、愛情でもない、もっと深く、静かな、しかし、確かなものだった。王国は、王の「生」という名の「判決」によって、救われたのだ。カイルは、リナの静かな瞳を見つめ、ただ、立ち尽くすことしかできなかった。

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