ARタコヤキと、虚像のスムージー

鉄板が鈍く光る。湯気が立ち昇り、香ばしい匂いが充満する。橘咲良は、その匂いが、この古びたたこ焼き屋「桜家」の魂だと信じていた。弟・健太の借金返済という、鉛のように重い現実を抱えながらも、一玉一玉に心を込める。それが、咲良の全てだった。

隣に、眩い光の奔流が生まれた。最新ARカフェだ。その店員、桐生蓮は、まるで舞台女優のように華やかで、冷たい笑みを浮かべていた。彼女の視線は、咲良の「桜家」を、まるで虫眼鏡で見るように、ただただ蔑むように向けられていた。ARで「究極のたこ焼き体験」だなんて、ふざけるな!

蓮のARカフェは、瞬く間に客で溢れた。人々はARグラスをかけ、現実には存在しない「理想の自分」と、ARで完璧に再現された「理想のたこ焼き」を囲む。咲良には、その光景が、現実から目を背ける哀れな姿にしか見えなかった。吐き気がするほど、腹立たしかった。

健太は、咲良に内緒で、蓮のカフェでアルバイトを始めた。姉のためだと、彼は言った。だが、咲良は知っていた。健太のあの怯えた瞳を。蓮の、氷のような視線に晒されながら、健太は借金の一部を返済していたのだ。深夜、誰もいなくなった「桜家」で、健太はこっそり、冷めたたこ焼きを口にした。その温かさに、束の間の安堵と、姉への罪悪感が、胸を焼いた。

「負けねえ…!」

咲良の叫びが、鉄板の音にかき消される。味で勝負するしかない。健太は、とうとう咲良に全てを打ち明けた。蓮に脅されていること、借金の全て。咲良の胸に、弟への怒りと、蓮への憎悪が、マグマのように燃え盛った。その夜、蓮が「桜家」の前に現れた。ARグラス越しに、蓮は咲良のたこ焼きを嘲笑った。「古臭い。これが、あなたの全て?」

「あんたの、あの虚無的な生き方の方が、よっぽど古臭いわよ!」

咲良の怒りが、熱く、激しく、蓮にぶつけられた。

ある晩、咲良は、蓮のカフェの窓から、衝撃的な光景を目にした。健太だ。ARグラスをかけ、「理想の自分」を演じている。咲良のために、必死で働いているはずなのに、現実の自分を見失っている。あのARの光に、健太の魂は呑み込まれていく。咲良の胸に、熱いものが込み上げた。健太を、蓮のARから救い出さなければ。そして、あの女に、一矢報いるのだ。咲良は、究極の「感情」を込めた、たこ焼きを作ることを決意した。

蓮は、閉店セールを煽り始めた。「桜家」の最後を飾るかのように。その日、咲良は健太の手を引いて、蓮のカフェへ向かった。蓮は、咲良の前に、ARで完璧に再現された「究極のたこ焼き」を映し出した。「見なさい。これが本物。あなたのたこ焼きは、偽物よ。」

「あんたのARは、ただの虚像よ!」

咲良の叫びが、カフェの空間を切り裂いた。血が沸騰するような怒り。鉄板の熱。涙。全てを込めて、咲良は叫んだ。「私のたこ焼きは、この手で、この熱で、この涙で、魂を込めて焼いた、本物の味なのよ!」

健太が、咲良の隣に立った。「姉ちゃんのたこ焼きが、一番だよ! 姉ちゃん、ごめん!」

蓮の、冷たい仮面が、初めて、微かに歪んだ。咲良は、熱々のたこ焼きを、蓮の目の前で、一口、口に含んだ。その瞬間、蓮は見た。ARでは決して再現できない、人間の、生々しい情熱。切実な愛。そして、失った温もり。

「あんたのスムージーは、一体、誰のためにあるのよ!」

咲良の叫び声と共に、熱々のたこ焼きが、蓮の顔面に叩きつけられた。蓮は、そのたこ焼きを、憎しみと、そして、微かな憧憬にも似た感情で、受け止めた。それは、激しい感情の衝突の、頂点だった。

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