失われた城と、微熱の君
祖父の書斎は、埃と紙の匂いが混じり合った、独特の空気を孕んでいた。陽向は、祖父の遺品を整理しながら、古びた木箱の底に一枚の紙切れを見つけた。それは、くすんだ色合いの古い地図だった。かすれたインクで描かれた線は、この町がまだ「王」と呼ばれていた頃の、城の輪郭を思わせる。祖父がよく語ってくれた、今はもう跡形もない「失われた城」の物語。陽向の胸の奥が、じわりと熱くなった。祖父は、城が「王」から「丘」へと「降格」した、と、どこか寂しげに呟いていた。その言葉の意味を、陽向はまだ上手く掴めずにいた。ただ、失われたものへの、切ない憧れだけが、胸を満たしていく。
地図が示す場所は、町の外れにある、今はただの丘と呼ばれる場所だった。陽向は、地図を頼りに、土の匂いがする小道を登っていった。丘の頂上近くに近づくと、木々の合間から、蔦に覆われた古い洋館が姿を現した。窓ガラスは割れ、蔦が壁を這い、まるで長い間、誰にも見つけられずに佇んでいたかのようだ。洋館の庭で、陽向は足を止めた。そこで、一人の少年が、陽向の視線に気づいたように顔を上げた。見慣れない顔。転校生だと、すぐに分かった。彼は、陽向が手に持つ地図に、興味深そうに目を向けた。
「それ、何?」
その声は、快活なのに、どこか乾いていた。陽向は、無意識に地図をぎゅっと握りしめた。少年は、陽向の傍に歩み寄り、地図を覗き込む。二人の指先が、地図をめくる際に、ほんのかすかに触れ合った。少年の指先は、陽向のそれよりも、ずっと温かかった。いや、温かいというよりも、陽向の指先から、熱が吸い取られていくような、不思議な感覚。陽向は、少年――桐生涼と名乗った――の掌の、形容しがたい心地よい温かさに、戸惑いながらも、惹きつけられていた。それは、陽向が抱く「失われたもの」への憧れに、そっと寄り添うような、淡い熱だった。
「この地図、昔の城の場所、なんだ」
陽向は、涼に、祖父から聞かされた城の話をした。祖父は、城が「王」としてこの地を支配していた時代から、今はただの丘に「降格」してしまった、と語っていたこと。そして、その城には「永遠の愛」が眠っているという、少しばかりロマンチックな伝説があったことを。涼は、黙って陽向の話を聞いていた。時折、陽向の顔をじっと見つめる。その視線は、陽向の頬を、じんわりと赤く染めた。涼の瞳の奥に宿る、どこか儚げな光。それは、陽向が祖父の語る「王」の姿に重ねた、あの切ない輝きと、奇妙なほど重なって見えた。
「もしかしたら、その城は、失われたんじゃない。隠されたのかも」
涼の声は、静かに響いた。陽向は、息を呑んだ。隠された?
「その地図は、ただの場所を示すものじゃない。ある『約束』の場所、なのかもしれない」
涼は、そう言うと、陽向の震える指先に、そっと自分の手を重ねた。その瞬間、陽向は気づいた。涼の体温が、自分の体温よりも、ほんの少しだけ高いことに。それは、陽向の熱を、吸い取るような、甘く切ない熱だった。涼の、時折覗かせる影のある一面。それは、この「隠された城」の秘密と、陽向が抱く憧れに、呼応しているかのようだった。指先から伝わる、確かな温もり。
「君のおじいさんが言いたかったのは、きっと、愛は姿を変えながらも、決して消えることはない、ということだよ」
涼は、陽向の肩に、そっと手を置いた。その指先から伝わる温もりは、陽向の心の中に、新たな「ときめき」の熱を灯していく。互いの吐息が触れそうなほど近くで、肩越しに感じる涼の体温は、陽向の熱を、優しく、包み込むように暖めていた。失われた城の物語は、涼という存在と出会ったことで、陽向の中で、これから始まる二人の物語の、静かな序章へと姿を変え始めていた。二人は、祖父が「城」と呼んでいた、今はもうないはずの丘の頂上を、二人で見つめた。静かに高まっていく、互いの熱。それは、二人の間に流れる空気を、甘く満たしていく。失われた過去への憧れは、目の前にいる、この微熱を帯びた君への、確かな未来への予感へと、姿を変えていた。